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新しいことを見つけるって楽しい!

時間

2020年10月31日 | 大学でのひとこま
日々生活していると、気は乗らないけどどうしても参加しなきゃならないこととか、
やらなきゃならないことってあるものですが
その時にどうせ30分なり1時間なりそこに座ってなきゃならないとしたら
その時間を無駄にはしたくないなと私は思います。
学生を見ていると、講義がつまらなくて
寝ていたりスマホ見ていたりする人がいますが
時間もったいないなとつい思います。

4年間通って身につくこと、どのくらいあるのかな。
試験は通ってもすぐ忘れてしまったら
甲斐がないなと思ってしまいます。
せっかく時間を使うのだから
すぐ役に立ちそうな、自分が興味をもっている事柄以外のことも
頭のどこかにいれてみたら
そのうちどこかでひょっこり役に立ったり
自分の精神を構成する何かになるかもしれないと思うのですが。

早く帰りたい、とか、早く終わらせたい、とか
それで生み出した時間を何に使うのかな。
今やってることをきちんと身につけるということをしないで
流してしまっても生きていけるけど
もったいないなとつい思います。

学ぶことに受け身でいると
学ぶことのおもしろさって結局わからないんじゃないかなあ。
自分のもってる引き出しが少ないことにも
気がつかないんじゃないかなあ。
引き出しが少ないと想像もできないから
考え方も狭くなってしまう。

そんなことをちょっと考えてしまう残念なことがありました。
大学の4年間って本当に貴重な時間なんですよ。





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最近風邪をひいてない、とか言ってはいけないんだった

2020年10月29日 | 仕事・研究
山を越えた(かも)と書いたとたん、めっちゃ大きな仕事が降ってきました。
言葉には言霊がやどる。
言っちゃいけないんでした、そういうことは。
最近風邪ひいてないんだよね、というと必ず風邪ひくみたいな。
静かに粛々とこなしていこう、、、。
謙虚謙虚謙虚。

それと同時に、このままでは「この仕事が一段落するまで」と果てしなく
頑張る日々が続くことも予想されてきたので
一日単位で自分を見てきちんと過ごしていこうと決意。
たとえば今日の寝不足は明日取り戻そうじゃなくて
今日ちゃんと寝る。
ケリー・マクゴニガルが書いてたと思うんですが
人は将来の自分を過大評価するので
これが終わったら時間ができる、とか
来週は余裕があるから〇〇は来週できるな、とか
考えるのですが、それは妄想で
来週には来週の、今日と同じ自分がいるということを
強く認識していないと
将来の自分は休ませよう、今の自分はとにかくシャカリキに
となって、結局仕事の質も落ちていくのではないかと
思いますし、なにより健康に良くない。

野球も速球一本じゃ勝てなくて緩急つけられて
要所を締められるピッチャーが勝てる。

さあやろう。

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多忙の山を越えた(かも)

2020年10月27日 | 仕事・研究
昨日、科研費が終わりました(たぶん)。
科研費以外にもここのところ締め切り仕事が重なっていたので
9月から土日も大学に来て仕事していて
超多忙になってました。
科研費が終わったので、一度リセットしたいと思い
今日はぜひ休みを取ろうと思っていたんです。
有給休暇の消化、振替休の消化と全くできていませんし。
しかししかし、会議が入ってしまい
結局休むことはできませんでした。

それで、今日は朝から論文のrevisionをやると決めてました。
10月に入って戻ってきた論文。でもリバイスやる暇がまったくなく
2週間ちょっと放置。でもやっと科研費終わりましたから。
それで、朝来て始業前に水産の研修動画を1本見た後(これはまだ10本
見るのが残っているので、今後も日々見ます)、リバイスを始めました。

わたしはすべての仕事の中で論文のrevisionが一番タフだと
思ってますが、同時に、一番やりがいがあって楽しいとも
感じます。ものすごく重荷でつらいんですが
終わったときの達成感にはクライマーズハイ的なものがあります。

いろんな仕事の重荷と、リバイスを後回しにしている心の負担も
あって、精神的に参ってましたが
やっとやれる!ということで、午前中はすごく楽しく集中して
時間を過ごしました。

午後は倫理のe-learningの動画を見ました。
これも今週中に終わらせなければならない研修でした。
90分も見て、確認クイズに答えて終了。

その後またリバイスを少し進めて、その後会議。

で、今日は早いですが帰ります。
やはり一度リセットしないと体がもちませんし
家の方もいろいろやれてないところなので
まずは様々整えるということで。

明日も朝から学外で会議、午後は学生のサークル活動につきあい
その後また会議でリバイスはまたもやお預けですが
でもこれから10日間くらいできっちり仕上げていきたいと
計画しています。これさえ終わればとにかく一日くらいは
休みが取れるはず。その後はまた卒論に向け
休めない時期がやってきます。
例年、11月の一時期だけが多少多忙がましになる時期だということが
記録からわかってますので、それを目指して
あと少しがんばっていきます。

今年はよく考えたら代表の外部研究費が2本採択になり
その前からの大型研究費(こちらは分担ですが)もあり
共著ですがアクセプトになったのが2本あり
責任著者で投稿している論文が2本あり
その他に一般的な本を分担で書いて
それ以外に雑文も数本書いてすでに印刷されており
忙しいけれど成果も出ているのを
コロナのせいでうっかり忘れるところでした。
↑ 忙しいわけだよな、と今わかりました(笑笑)。

(そしてそんなに忙しいのに野球は行ってたんですよね)





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祝★ノーベル化学賞~ゲノム編集~思い出話

2020年10月08日 | 仕事・研究
ノーベル化学賞のニュースを聞いて、とてもHappyです。
ゲノム編集の源流は日本人にあった、と記事にある通り
阪大微研の中田篤男先生のラボから出た論文
後にゲノム編集の技術に発展しました。

私は1992年からしばらく、中田篤男先生のラボに
お世話になっていました。私はその頃大阪府立公衆衛生研究所で
HIVの仕事をしていたのですが、
ちょうどPCRが世の中に広がりつつある頃で
クローニングの技術を習いたいということで
弟子入りを御願いしたのでした。

最初は技術的なことを習いに行くくらいのつもりでしたが
どうせなら博士を取ればということになり
(たぶん私の上司は最初から学位のことも考えて
微研に預けてくれたのでしょう)
であればしっかり研究をして論文も書いてと
いうことで、1995年に博士の学位を取るまで
お世話になりました。

その頃はPCRがやっと普通に使えるようになったくらいの
時期で、私は大腸菌を使ってHIVの組換えタンパクを作る
研究をしていました。中田先生のラボでは
大腸菌そのものの研究が主流で
わたしは全然そこには関わりませんでしたが
同じ年齢の学生や研究生が3人いて
彼らの研究の切磋琢磨をそばで見ていて
大変刺激を受けました。

はっきり言ってあんなに厳しいラボは初めてでした。
だけどおかげで目が覚めました。
私はマスター(修士)でも自分ではがんばってやってた
つもりでしたが、まるでダメだったなと思いました。

この間引退した鹿島の内田篤人さんがドイツに居た頃
「厳しい環境にひっぱりあげられる自分」という話をしていました。
日本にいた時はもっとできたはずなのに
やれてなかったと。
私も、自分のそれまでを同じように感じました。

ノーベル賞を取るような研究者はすごい努力をしていて
素晴らしい方々。でもその頂点に至るまでに
山のような基礎研究があったんだ、ということを
今回実感として、本当に自分のこととして
感じます。

あれからもう25年以上。
年月をかけて積みあがっていく成果を目の前で見ました。
本当に、Happyです。
中田先生ももう90歳におなりとか。
お元気なお姿を記事にて拝見し、とてもとてもうれしく思いました。



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研究室もモノを減らそう

2020年10月06日 | 仕事・研究
ずっと忙しすぎて心が疲れ切ってきたので
今日は一度立ち止まることにしました。
明日からまた次の書き仕事に入りますが
今日はいろんなことをリセットしたい!
そして明日気持ちを切り替えて
また集中していこう、と思います。

そんなわけで今日はたまっている事務処理を粛々とやり
そして自分の研究室の棚を整理しよう!と思い立ちました。
私は他の先生に比べたらモノが少ない方だと思いますが
もっと減らしたいと思います。
古い書類、古い雑誌を捨てます。
サンプルを送るのに使うかもと思って置いてある
空き箱なんかも増えすぎてますので捨てます。

モノを整理するというのは
私にとっては一番の気分転換。
そして明日は生き返るのだ。


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アメリカのクレジットカード、銀行口座をクローズ

2020年10月03日 | アメリカ生活
2005年にアメリカから帰国しましたが、その後もしばしば出張するので、
クレジットカードと銀行口座を維持していました。
わたしはアメリカで給料をもらっていたので
わずかですが年金を受け取る予定もあります。
そのとき、アメリカの銀行口座があった方がいいだろうと思っていました。

しかし帰国して15年、世の中が変わってきました。
最初にクレジットカードを解約することに決めました。
当時は、例えばアメリカのamazonで買い物するとき
日本のクレジットカードが使えませんでした。
洋書はアメリカのamazonから買う方が安いので
利用していましたが、日本のクレジットカードが使える場面が
増えました。アメリカのクレジットカードは、Costcoで使える
カードでしたが、ある時Costcoがその提携を切ったので
そのメリットもなくなりました。

アメリカのクレジットカードは、オンラインではキャンセルできませんでした。電話をかけないとダメでした。
しかも800から始まるフリーダイヤルは海外からは使えません。
そこでスカイプで国際電話の契約をしました。
最初の1か月は無料で使えるので、クレジットカード会社に電話した後
速攻解約しました。
アメリカへの電話は、オペレータにつながるまでが大変です。
日本だと番号を押して進んでいきますが
アメリカの会社では「内容を言え」と言われるので
言うんですが、発音が悪いと「わかりません」と切れるのです。
ものすごく丁寧に発音してつながりました。
オペレータにキャンセルしてほしいと言うと(もちろん英語で)
「何が気に入らないの?」とか聞かれます。
「キャンセルの理由をいいなさいよ」みたいな感じですね。
日本にいて、使う必要がなくなったのでと説明しました。
そしたら「あなたはどこに住んでるの」と聞かれました。
何を言われているか一瞬わかりませんでしたね。
日本の△△県だけど、あなた知らんでしょ。というと
「それってTokyoに近いの?」という。
何を言いたいのか全然わからないけど「近くないです」
と答えると「あなたは〇〇年間このカードを使ってくれた。
感謝の気持ちを込めてギフトカードをあげたいんだけど
東京のオフィスに取りに行けるかな」というので
「それはいらないです。遠すぎる。」といって
お断りし、「じゃあこれでキャンセルね!」
と言われて完了。
「あなたどこに住んでるの?」って言われて聞き取れなかったのは
初めてですが、予想外のことを聞かれると意味(意図)がわからないってことですね。

これでクレジットカードがキャンセルできたので
次は銀行、と銀行のサイトを調べました。
そしたら銀行は(も)オンラインではキャンセルできず、
紙に書いて送るということがわかったので
作文して送付。
それが受理されると同時にオンラインで口座にアクセスできなくなり
これで完了と思っていたら
「サインの公証が必要なので、公証とって送りなさい」という
郵便が来ました。日本では印鑑証明があるのですが
アメリカではサインがあっても本物かどうかわからないから
公証を受けないといけないということが時々ありました。
だから私も知ってたけど、知らないと言われたことの意味がわからなかった
かもしれないです。

さて、アメリカに居たら公証ってすぐ受けられるけど
日本ではポピュラーじゃないシステム。
外務省のアポスティーユも受けないといけないとわかり
どんよりムードに。
数か所回らないといけないし
共同名義の銀行だからパートナーのサインも公証もいると
いうことになり頭を抱えました。
パートナーの方は委任状を用意し
東京の公証役場に行ったのが今年の2月。
しかしあっけなく断られました。
理由は、「面前でサインするって書いてあるのに委任状は受け付けられない」

しょうがない、では名義人二人そろって公証役場にいくしかないか
と思い、東京出張の折に合わせて行こうと考えたのですが
そのまま東京はコロナ禍に。アメリカの銀行には
「数か月待って」と手紙を郵送。

8月ごろ、このままではいけないと思い、
行政書士さんに代行を依頼することに決めました。
東京への交通費くらいで依頼できることがわかったのも
決め手になりました。

再び印鑑証明・委任状など用意して
行政書士さんに郵送。その日のうちに手続きしてくれて
今度は公証役場もあっさり口証してくれて
書類が自宅に戻ってきました。

さて、その書類を今度はアメリカの銀行に送る必要があります。
9月上旬郵便局に行きEMSを出そうとしたら
アメリカは受け付けていませんと断れました。
コロナのため航空便が減っており
受けていないとのこと。
普通郵便になると言われました。
こんなに苦労した公証書類、普通郵便ではとても送れないと
思い、今度はヤマトで出そうと準備。
ところが宛先がPOBOX(私書箱)だったため
こちらも断られました。

もはや普通郵便しか選択肢がなく再び郵便局へ。
そしたら今度は「船便しか受け付けていない」と言われ
「いやいや、普通郵便しかないけど、航空便で送れるはず」と
押し問答。最後は別の局員さんが助け舟を出してくれて
出すことができました。ただし、何日かかるかわからない、と。

その話を海外の友人にしたところ3ヶ月くらいかかってる例も
あると言われ、公証書類の期限が3ヶ月だから、それは困る!
と焦るも、出してしまったものはしょうがないし
だいたい普通郵便しか出せなかったんだから
どうしようもない。と腹をくくったのが9月中旬。

そしてついに本日銀行より正式に「あなたの口座をクローズしました」
とメールが!!!

最初にクローズしようと決心してから10か月。
長かったーーーー。
でもやっと決着をつけることができました。

残高は小切手でくるはずで
これを換金するというところがさらに難関なんですが
今日はここまで到達できたことを喜ぼうと思います。

あのアメリカがこんなことになるなんて。
郵便さえ滞るような事態になるなんて。
小切手が使えなくなるなんて。
アメリカに行けない日がくるなんて。

まったく想像していませんでした。
世の中は、変わる。
そのこと、今回身に染みました。



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