2年前から取り組んでいた放射線の本ができあがりました。私も2か所執筆しています。福本先生の解説がわかりやすく、イラストも満載で、とても読みやすい本です。放射線影響について、ぜひ知っていただけたらと思います。知らないとただ「怖い」と感じるものですが、きちんと理解すればどのように対処したらいいのか考えることができます。福島第一原発の事故は非常につらいことでしたが、そこから得られた科学的知見、教訓を未来に生かしたいです。
Japan Timesの記事に引き続き、The Straits Timesというシンガポールの新聞に記事が出ました。
https://www.straitstimes.com/asia/east-asia/flourishing-wildlife-makes-fukushima-a-natural-laboratory-to-study-the-impact-of-radiation
3月11日の節目にということで、たくさん取り上げていただけて感謝です。
今年の3月11日は、TVを見ました。
昨年まで、この時期はTVを避けてきました。
見ると複雑な気持ちになるので、、、なるべく静かに過ごしたい。
でも今年はちょっと「世の中はどうなってるのかな」ということが
気になり。そしたら11日はやっぱり朝から晩まで震災のプログラムなのですね。
私は阪神淡路も体験しているので、震災から〇年っていうと「こんな感じ」
というのがうっすらわかるんですが、20年があっという間なんですよね。
でも確実に我々は年を取っていて。
震災後、復興にがんばった人たちは確実に年齢を重ねているんです。
大学のプログラムで学生たちを淡路島に連れて行った時
「そうか、20年たつとこうなるんだ。もう私も今までのような活動はできない」
と愕然としたのですが、今回のインタビューでも同じことを思いました。
「今後、この研究はどのように進んでいきますか?」
そうですね、私の後に続く若い人たちが、長い目で調査を続けて
くれたらと思います。と答えました。震災から20年という年には
私はもう自分ではできないんですね、、、。
放射線の影響、野生動物たちの生態、もどってくる人たちの暮らし。
次の世代の人たちに研究のバトンがつながることを祈っています。
先日、JapanTimesの記者さんから取材申し込みがあって、
zoomでお話しした、、、ということがあったんですが、
その記事がすでに出ていたようです。
出る時には連絡くれるのかと思っていたら全然、、、。
なぜわかったかというと、この記事を読んだという
別の新聞社の方がうちも取材させてくれという
メールをくれたからです。
今度の新聞社はシンガポールだそうで、
やはり英語の影響力は大きいですね。
日本語で取材受けても海外から何か言ってくるって
皆無だもの。
今回の記事は、私が22年10月にScientific Reportsという雑誌
に出した論文をきちんと読んでまとめてくれていて
「よく読んでくれたんだな」
ということがわかる記事でした。
科学論文が一般の人に届くことはなかなかないので
よい機会をいただきました。
この日が近づくにつれ、メディアが震災を取り上げ、
つらい話を何度も聞く日々でした。震災の教訓は
ミライへつながないといけませんが
まともに向き合うとつらすぎるのです。
震災にまともに向き合うと、前は見れない。
多くの人が前を向くことで今日まで進んできました。
だけど振り返ればやっぱりつらいのです。
私は震災後から馬車馬のようにがむしゃらに
復興活動に取り組んできました。
いろんな人が支えてくださり
達成感があり、力が湧いてきました。
やってきたことに意味があったと思うし
あの大変な中、少しでも誰かの力になったことが
あったとしたら、ほんとにうれしいと思うのです。
でも一方で、あの時のつらさを思い出して泣きたい気持ちに
なることが何度もあるのにそれに目をつぶってきたことは
残念というよりダメだったなあ、と思うんです。
震災の日の夜、子どもたちは学校にいるから大丈夫と信じて
迎えにいかなかったけど
そしてそれは本当に正解だったけど
それはたまたま正解だっただけで
学校が安全であるという思い込み、
とくに海に近い場所の学校を、学校が一番大丈夫と思ったことなんか
もしそれが不正解だったらどうしていただろうと
思うんですね。
3月10日にガソリンをたまたま満タンにしていた。
3月11日午後2時にたまたま灯油が配達されていた。
自分ちの地盤が強かった。
子どもたちの学校が大丈夫だったことも含め
本当に偶然、たまたま助かった。
私はこれからも震災関連の仕事や復興活動をがんばってやってくと思います。
だけど後ろに置いたままにしている気持ちを
忘れてはいけないと思うので
泣きたいときは泣きながら
つらかったつらかったと言いながら
やっていった方がいいかなと思ってるんです。
みんなすごくがんばってる。
笑顔いっぱいの東北。
すごいなっていつも思います。
だけどみんな痛みをかかえてて。
復興は大事なんだけど、忙しくしすぎちゃだめだと思う。
今日は祈りの日。
みんなよく10年間がんばりました。
9年前をまともに思い出すとつらい。
だからそのことは今日は書きません。
学生が取り組んできた復興支援ボランティア。
これまでの活動をまとめた小冊子を作りました。
震災直後からここまで。
支援の形はどんどん変わりました。
メンバーも変わりました。
だけど継続してきた。
どんな道のりだったのか。それをまとめました。
もしかしたらほかの地域の学生たちにも役に立つ
ことがあるかもしれません。
もし読んでみたいな、という人がいたら
ご連絡(コメント欄でもOK)いただければ送ります。
この冊子は製本したからこれまでがんばってくれた
関係者に配りますけれど
普通に印刷したものならどなたでも。
送料は負担してくださいね(笑)。
11月3日に丸森町にボランティアに行ってきました。報告もかねて、これから行こうとしている方に参考になるように書きます。
【準備編】
持ち物:長靴、軍手、ゴム手袋、タオル、つばのある帽子、防じんマスク、ごみ袋、飲み物、食べ物(今回のボラバスはお弁当付きでした)、場合によっては携帯トイレ、ウエットティッシュ、消毒薬、カットバン、着替え等。最初から長靴を履いていかず、普通の靴で行き、現地で履き替えた方がいいです。→バスに泥を持ち込まないため。
【当日】
ボランティアバスに乗っていく場合は、集合時間に余裕をもって参集。仙台駅東口で受付。バスで丸森町ボランティアセンターへ。トイレを済ませて現地へ移動。現地の受付で1000円払い、持参品で足りないものをもらいました。飲水、ゴム手、マスク、タオル等が用意されていました。今回の内容は泥かき一択でした。大和町のときは「片付け・掃除」という比較的軽作業もありましたが、丸森は堆積している土砂量が半端ないので、しばらく泥かき一択と思われます。大和町でも道具が足らないということがあったのですが、今回はシャベルは足りていました。自前で持ち込むなら先がとがってない角型シャベルがいいです。あと、ねこは足りてません。
今回は、重機が入れない場所の泥をかきだして山にして、重機がもっていける状態にするという作業を行いました。量が多いので、全然終わりませんでしたが、それでも作業前よりはかなり床が見えたと思います。力仕事ですので、「自分にできるかな」と思う方も多いかと思いますが、わたしもどっちかというと体はない方で(スリム)、年齢も相当いってますが何とか最後までやりおおせました。ただ、無理は厳禁です。腰と背中にきます。自分のペースでやることが大事です。ちなみに、トイレは私が入った吉田地区ではその日から仮設トイレが1台入ったという状況でしたが、男性は外でやってください的な話はありました。
10時から12時過ぎまで作業し、1時間昼休みで13時から15時過ぎまでまた作業。その後バスに乗り、ボランティアセンターに寄ってトイレ&着替えて仙台駅着が17時半くらいでした。ボランティアセンターには更衣室もあります。
昼休みに配られたお弁当がすばらしかったんですよ。ツイッターにも挙げましたが、心のこもったお弁当で、おかずの下に敷いてある水菜が新鮮でぱりぱり。お品書きがついていて、本当に心にしみました。
震災があったのにまたこんなつらい災害で胸がつぶれそうになりますが、みんなで一緒にがんばっていきましょうね。
日曜日に、災害ボランティアに行ってきました。学生の引率、、、のはずでしたが、がっつり泥かきやってきました。誰か「女性には女性の仕事もあるのでぜひ」とか言ってたと思うんですが、現場に行ったらもう関係なく。若いころから長靴をはく仕事「も」してきたので、こういうときに役に立ったなと思います、、、。
さて、大和町のボランティアセンターに行きましたら、思ったより大勢集まっていましたが、現場に行ったらそんなんじゃ全然足りないということがわかりました。やはり泥かきは人手がいります。あと、道具も。昨日は30人で一軒+畑をやっと終わらせた感じ。
ニュースでは、丸森は500人集まったとか。心配していたのでよかったです。けど、あっちも災害の規模がすごいので、まだまだ人手は必要でしょう。ぜひ皆さんもよろしくお願いします。
2012年、震災の翌年に入学してきたYくんという学生がいました。彼は動物愛護に興味があり、1年生の基礎演習で動物愛護について取り上げたい、と希望しました。わたしは獣医師ですから動物愛護の考え方やその法律を学生に教えたりすることはありましたが、学生の卒論の研究テーマとして取り組んだりしたことはそれまでありませんでしたし、愛護センターとの関係も持っていませんでした。しかしYくんが愛護センターに見学に行きたいというので、あちこちに連絡を取り、年が明けた2013年2月に、1年生数名と初めて県の動物愛護センターに出かけました。
【当時の写真】
その後、愛護センターの獣医さんから電話がかかってきて、獣医師会に入り、動物愛護の委員をすることになり、学生の卒論で動物愛護のテーマをとりあげて調査をしたりするようにもなりました。Yくんの卒論のテーマは同行避難についてでした。復興住宅ができた頃で、ペットを連れて入居できる復興住宅を訪ね、住民の方にアンケートを取らせていただきました。本当に大変な調査で、まとめきれない部分もありました。
そうこうしていたら、最近になって自治体の総合防災計画に動物との同行避難についても計画に入れるということになり、獣医師会でもそのことについてさらに深く取り組むという話が出てきました。
あの頃1年生だったYくんが、動物愛護についてやりたいと言ってこなかったら、私がこの件に携わることはなかったかもしれないと思うと不思議な縁だなと思います。今日はYくんが取ったアンケートのコメント欄をあらためてまとめなおしました。動物の同行避難って本当にむずかしいです。でも向き合わなければ次の災害のときに同じ問題が起きてきます。解決のためにはいろんな人のネットワークが重要です。それが宮城でできたらいいな。震災を経験したこの地で、モデルを提案できるようになれるといいなと思います。
(記事を書きかけていたと思っていたのに全然残ってなくてもう一度。なのでちょっと遅くなりました。)
11月28日に被災者の皆さんとクリスマスリースづくりをしました。この活動はもう7年やってるわけで、リースはすでに5回くらいは作ってるはず。ですからもうみなさんとっても上手です。材料は同じなのに全然違うものができるのも毎回のお楽しみ。個性が出ますね~。
材料はこれ。
今年はちょっと珍しい材料がありましたね。
ガーデンガーデンさんに用意していただきました。いつもおしゃれな花材を用意してくださいます♪
今年の見本
わたしの作ったやつ
参加者Aさんの作品
作品を手に集合写真♪
11月28日に被災者の皆さんとクリスマスリースづくりをしました。この活動はもう7年やってるわけで、リースはすでに5回くらいは作ってるはず。ですからもうみなさんとっても上手です。材料は同じなのに全然違うものができるのも毎回のお楽しみ。個性が出ますね~。
材料はこれ。
今年はちょっと珍しい材料がありましたね。
ガーデンガーデンさんに用意していただきました。いつもおしゃれな花材を用意してくださいます♪
今年の見本
わたしの作ったやつ
参加者Aさんの作品
作品を手に集合写真♪
新聞を読んでいたら、南海トラフに対する心構えとか備蓄とか、具体的なイメージを持ってやっていく必要があると書いてあったんですが、震災を経験していない人には具体的なイメージってなかなか難しいと思います。TVのニュースで見ている映像ではわかりませんもの。それに、わたしはちょっと危惧しているんですが、阪神淡路を経験している人が「このくらいは必要だろう」というのが通用しない場面が相当あるのではということが心配です。わたしが東日本大震災で備蓄や準備をしていたのは、阪神淡路の経験に基づいたものでした。でも実際はかなり異なりました。それでも阪神淡路を経験していたからこそ準備していたわけで、その点よかったとは思っているんですが、実のところ準備はまったく足りていませんでした。
わたしは、南海トラフの心配がある地域の人は、東日本の体験者にも話を聞いておいた方がいいと思います。被災と言っても地域によって程度はいろいろですから、いろんな人に直接聞くのがいいと思います。私の周りの人で、まったく被災していない人などいません。誰にでも語れることがあるはずです。震災はいつくるかわかりません。明日にのばさず、今日準備を始めた方がいいです。子どもが学校へ通っている世代の人は、とくにその時はどうするのかということを真剣に考えておくべきです。電気と携帯に頼りすぎるとまったくなにもできないかもしれません。電気がないときどうなるか、子どもと連絡が取れないとどうなるかということを本当に真剣に考えてみてほしいです。
わたしは、南海トラフの心配がある地域の人は、東日本の体験者にも話を聞いておいた方がいいと思います。被災と言っても地域によって程度はいろいろですから、いろんな人に直接聞くのがいいと思います。私の周りの人で、まったく被災していない人などいません。誰にでも語れることがあるはずです。震災はいつくるかわかりません。明日にのばさず、今日準備を始めた方がいいです。子どもが学校へ通っている世代の人は、とくにその時はどうするのかということを真剣に考えておくべきです。電気と携帯に頼りすぎるとまったくなにもできないかもしれません。電気がないときどうなるか、子どもと連絡が取れないとどうなるかということを本当に真剣に考えてみてほしいです。