いつも衛生学の授業の最初に進藤奈邦子さんの仕事の流儀のDVDを見せるのですが、その中で新藤さんが子供たちにいつも「働き者でないといけないよ、なまけものはいけない」と教えてるというくだりがあります。わたしは子どもの頃非常にめんどくさがりで、たとえば果物が食べたいけれども誰かが(この場合当然のようにお母さんが)むいてくれないだったら食べない、というような調子で、おおよそ「まめに動く」「よく気が付く」といったことからは遠く対極にいるような子どもでした。大学生のころ、ようやく普及してきたパソコンは学科に1台しかなく、それを使って修論の抄録を書くというのがとんでもなく面倒で、すでに就職していた友人が仕事でワープロを使っていると聞いて「頼もうか」と思っていたくらいです。しかし、子どもが生まれて、そんなこと言っていられなくなりました。(あらゆる意味で、子育ては私を成長させてくれた最大の要素と言えますね)
気が付いたときにすぐ動く。
今やってることをそこにおいてすぐ動く。
ということが分かれ目になることがよくあるのですが、それができるかどうかで後の結果がものすごく違う。
「自分がやるんだ」という気持ちを常に持っているということも大事ですね。
前にも書きましたが、「誰かがやってくれるだろう」は危険な落とし穴です。
誰だって面倒だな、、という気持ちは持っています。
しかし小さなことだからいいや、という気持ちは積み重なって自分を作っていきます。
でも面倒な気持ち、に打ち勝ってこまめに動いていると、だんだんそれが習慣になり、苦にならなくなります。
「自分」を形成するものは毎日食べているものと毎日の習慣だと思います。
だから食べることと日々の自分の動きに「面倒だな、、」を持ち込むとそれが自分を形成してしまいます。
今日一日適当なものしか食べなくても別に急に病気になったりはしませんが、いつのまにか生活習慣病をもたらすように、毎日の過ごし方もいつのまにか自分を作ってしまうということに、気が付いていきたいものですね。
気が付いたときにすぐ動く。
今やってることをそこにおいてすぐ動く。
ということが分かれ目になることがよくあるのですが、それができるかどうかで後の結果がものすごく違う。
「自分がやるんだ」という気持ちを常に持っているということも大事ですね。
前にも書きましたが、「誰かがやってくれるだろう」は危険な落とし穴です。
誰だって面倒だな、、という気持ちは持っています。
しかし小さなことだからいいや、という気持ちは積み重なって自分を作っていきます。
でも面倒な気持ち、に打ち勝ってこまめに動いていると、だんだんそれが習慣になり、苦にならなくなります。
「自分」を形成するものは毎日食べているものと毎日の習慣だと思います。
だから食べることと日々の自分の動きに「面倒だな、、」を持ち込むとそれが自分を形成してしまいます。
今日一日適当なものしか食べなくても別に急に病気になったりはしませんが、いつのまにか生活習慣病をもたらすように、毎日の過ごし方もいつのまにか自分を作ってしまうということに、気が付いていきたいものですね。