原文で読もうか翻訳を待つかと悩んだ末、日本語で読みました。
この本を知ったきっかけはCNN Englishの記事で、シェリルがこの本のせいで非常に強いバッシングにあってるというのです。シェリルの「本来の」主張は、男性はもっと家庭に進出すべし、女性は自分の能力をもっと信じて挑戦すべし、というところじゃないかと思うので別に妙な主張じゃないんですが、女性自身のチャレンジが足りないという部分に反発があるようです。
書評を読んでますと、ジェンダー・バイアスについての指摘がこの本の重要な論点という風に論じられているのがいくつもあり、たしかにそうだけど、私は違う感想を持ったなあと思ったのでちょっと書きます。
わたしは自分が就職するとき、求人票に男子のみと書かれる時代でしたので、獣医師の資格は持ってますけれども就職活動には苦労しました。だいたい、女子には会社説明会のお知らせが来ないし、無理に会社訪問しても「女子は採用ないですよ」と言われるので、まったくらちがあきませんでした。そこで公務員として研究職をめざし、大阪府を受験しましたが、そこでも最初に希望した農林センターには「そもそも女子トイレがないですからねえ」と言われる始末。結局公衆衛生の分野に進むことになりました。結果としてそのことが奏功して、現在の自分につながっていくのですが、そのころは女性はやはり補助的な仕事しかできないのかと思っていました。それから20年以上たった今も、結婚して子どもを産めば両立は難しいから、公務員が一番続けやすいと信じ、学生にも「家事育児と両立することを考えて仕事を選ぶのが長く続けるコツ」などと説明してそれが正しいと思っていました。
でもシェリルは実際に子どもが生まれて本当に大変になるまで、仕事をセーブするなと書いていました。大学を卒業後の数年は自分の能力がものすごく伸びるときです。そこで「生まれるかもしれない」赤ちゃんのためにあらかじめ仕事をセーブすると、自分の能力を伸ばせないまま産休・育休に入り、先に能力を伸ばした同僚に追い付けないまま補助的な仕事に甘んじ、責任を持つ仕事ではないためやりがいも中途半端になり、モチベーションが下がり、なにか小さなきっかけでやる気を失い、結局仕事をやめることになってしまう可能性が高いと。
これには私はかなりショックでした。
私はたしかにあらかじめ準備しました。そのためうまく両立できてこれまで続けてこられたのだと思ってましたが、たしかにばりばりの第一線で活躍するハイレベルの研究者になろうとはしていませんでした。わたしのアメリカのボスはわたしに「ノーベル賞を取りたいならそういう仕事の仕方がある。でも違うなら、仕事だけの人生にしてはだめ」といって人生を楽しむことを忘れてはいけないと度々わたしに言いました。わたしは子どもの育児と研究でこれ以上できないくらい時間をきりつめていましたが、それでも楽しいこともいっぱいやってきました。だけどもしかしたら若い時の、こどもを産む前の3年間、あそこで違う道がなかったか?、本を読んで自分に問いかけました。
まああの時代ですから、他はありませんでした。わたしは大阪府に入らなければ、どこにもいくところはなかったのです。だけど今の学生には、「両立できるような仕事を選ぶ方がいい」と勧めるのはどうか。間違っているのではないか。そう思いました。最後に選ぶのは本人だからどんな働き方でもいいけど、シェリルの主張を知っていて選ぶのと、知らないで選ぶのには違いがあると思います。
わたしはこれからもう少し違う指導もありかなと思いました。
私が読んだ書評にはこの点について指摘したものはありませんでしたので、書いてみました。