私は若い時はウイルスの仕事をしていて、その間に阪大微研で組換えの技術を学んで、その後山口大学で動物のサイトカインの仕事を始めて(とはいっても組換えタンパクを作ったりモノクロを取ったりが主な内容)、そのあとアメリカで寄生虫感染と消化管免疫、、、と研究領域を少しずつ変えてきました。意図的にじゃなくて、否応なくというのがホントのところで、もともと卒業後の自分の希望は畜産領域の仕事だったのに全然そういう機会に恵まれず、、、という流れです。アメリカでも3つのラボを経験したので、履歴書書くときはかなり面倒。で、いろいろなことを体験したのがよかったなあというのはあるんですが、若い時から免疫一筋で来た方とは全然バックグラウンドが違うし、日本に帰って来た後はどの学会が自分の領域なのかも模索状態で、いろんな学会に出てみたりもしました。最近やっと自分の立ち位置、というのが見えてきて落ち着いてきてますが、やっぱり一筋でやってこられた方がうらやましいという場面もあります。
アメリカではステップを上がるごとに違うラボに移動ってのは普通で、学部→大学院っていうのも普通は違うところに行きます。日本でも流動的ってのが推奨されていて、大学の常勤職にも任期がついてるのが普通になってきました。かくいう私もつい最近まで任期つきでしたが、今の所属に来た時は、これまで経験したことのない食分野ということで、ここへきてから食品免疫という領域にも関わるようになりました。最近は脂肪酸とか以前は全然知識のなかった分野がおもしろくて、動いてきたからこその出会いだなあとは思います。
結局、幅広い経験で広い視野を得るというやり方と一つのことを極めて行くやり方、どっちも意義があると思いますけど、新しい領域に入っていく時はいつも素人ですから、その辺はやっぱり大変。道を切り開いていくという労力がものすごくあって、そういう時は「若い時からこの分野でやってきた人はいいな~」と思ったりします。反面、学際領域の発想が相手にインパクトを与えられるという時には「いろいろやってきてよかったなあ」と思います。自分がやっていくのは、やっぱりそういう境界領域なんだろうなあと思います。
最近、復興支援とか震災関連の仕事がやたらと増えて、わたしの残り年月を考えるとこれはこの分野も柱にしてくことになるかもしれないなあと感じています。一朝一夕で復興はなりませんし、被災地に位置する大学に身を置く身としては天命でもあると思うからです。しかし幅が広がるのはいいけど、発展して分散して霧散、じゃなくて、いろいろな要素がつながって、そのことで意義を得、最終的にまとまっていくように心していかなくてはと思っています。
アメリカではステップを上がるごとに違うラボに移動ってのは普通で、学部→大学院っていうのも普通は違うところに行きます。日本でも流動的ってのが推奨されていて、大学の常勤職にも任期がついてるのが普通になってきました。かくいう私もつい最近まで任期つきでしたが、今の所属に来た時は、これまで経験したことのない食分野ということで、ここへきてから食品免疫という領域にも関わるようになりました。最近は脂肪酸とか以前は全然知識のなかった分野がおもしろくて、動いてきたからこその出会いだなあとは思います。
結局、幅広い経験で広い視野を得るというやり方と一つのことを極めて行くやり方、どっちも意義があると思いますけど、新しい領域に入っていく時はいつも素人ですから、その辺はやっぱり大変。道を切り開いていくという労力がものすごくあって、そういう時は「若い時からこの分野でやってきた人はいいな~」と思ったりします。反面、学際領域の発想が相手にインパクトを与えられるという時には「いろいろやってきてよかったなあ」と思います。自分がやっていくのは、やっぱりそういう境界領域なんだろうなあと思います。
最近、復興支援とか震災関連の仕事がやたらと増えて、わたしの残り年月を考えるとこれはこの分野も柱にしてくことになるかもしれないなあと感じています。一朝一夕で復興はなりませんし、被災地に位置する大学に身を置く身としては天命でもあると思うからです。しかし幅が広がるのはいいけど、発展して分散して霧散、じゃなくて、いろいろな要素がつながって、そのことで意義を得、最終的にまとまっていくように心していかなくてはと思っています。