4年生の卒論が提出されました。
毎年この時期は指導する私も本当につらくて、寝不足になるし添削にも疲れるし、終わると本当にほっとするのですが、今年はまったくそこまで至りませんでした。完成度が低すぎ、議論する段階にもないという状態で、結局形だけ整えて提出ということになりました。この後、発表会があるので、そのためのスライド作りをし、プレゼンの練習をしつつ、卒論の手直しをしていくのですが、締め切り日の完成度が低いと、はっきり言ってそうたいしたものには仕上がりません。人間というのは、決められた締め切りに向かっては最大の集中力が出せるのですが、それを過ぎたらもう120%のパフォーマンスはできないのです。そんなことは、再々話してきましたし、本人たちもよくわかっているはず。しかし、今年はできませんでした。
理由はいくつかあります。
一つは、スケジュール管理が甘すぎたこと。
言っても言ってもやらなかったわけは、私にはわかりません。
4年生だから、就活を含めいろいろやることがあって、忙しくてできなかったのかもしれません。
でもだからこそ、どうにかしてやり遂げるにはどうしたらいいかを工夫しないといけませんでした。
それから、二つ目は勉強不足。
たぶん本人的には相当がんばって文献も読んだのに、、、と思ってるかもしれないんですが、全然整理できておらず、自分の中につみあがっていませんでした。
自分のもってる引き出しが少なすぎなんです。
卒論、ある程度考察できていれば、それは違うとかこうじゃないのとかディスカッションもできて、方向性も示せるんですが、それもできませんでした。
卒論は書く人のものなので、自分で考えるよりほかないんですけどね。
最後に来て致命的だったのが「論理を組み立てる」「論理的な文章を書く」ということが、全然できないということにこの時期になってようやく気付いたというところでしょうか。もしかしたら、気が付いてもいない人もいるかもしれません。低学年のうちから、きちんと読んできちんと書くということをしてこなければいけなかったのに、できてなかったのですね。
大学で学んだことのうち、専門の知識の大部分はそんなに役に立たないと思いますが、大学で学ぶということは、物事の捉え方、考え方、論理の組み立て、先を見通す力、説得できる文章力、などなどが鍛えられていくことなんです。しかしそれはすべて【積み上げる】もの。卒論はその集大成なので、付け焼刃では太刀打ちできません。
しかし、わたしのところの学生はけして怠け者じゃありません。
実験も必死でやったし、研究室も毎日さぼらず通って、ゼミでたくさん本や文献も読みました。
だけどそれでも足りなかったんです。
ものすごくがんばったのに、と思ってるのだったら、その程度の頑張りじゃどうにもならんということなんです。
厳しいようですが、社会に出る最後の時間であるこのときに、もしそのことに気付けたら、まだ間に合うかもしれない。
ここで「しょうがないね」とわたしが妥協したら、お互いに楽だろうけど楽したってしょうがないですから。ここは学びの場であり、成長の場なのですからね。
そのために、4年前にここに入学してきたし、わたしの研究室を選んで入ってきたのでしょうから。
次のチャンスは発表会。
ここであっと驚く成長が、見られる「かも」しれません。
昨年は、腰を抜かすほどの驚きがありました。
そういうねばりを期待しましょう。
毎年この時期は指導する私も本当につらくて、寝不足になるし添削にも疲れるし、終わると本当にほっとするのですが、今年はまったくそこまで至りませんでした。完成度が低すぎ、議論する段階にもないという状態で、結局形だけ整えて提出ということになりました。この後、発表会があるので、そのためのスライド作りをし、プレゼンの練習をしつつ、卒論の手直しをしていくのですが、締め切り日の完成度が低いと、はっきり言ってそうたいしたものには仕上がりません。人間というのは、決められた締め切りに向かっては最大の集中力が出せるのですが、それを過ぎたらもう120%のパフォーマンスはできないのです。そんなことは、再々話してきましたし、本人たちもよくわかっているはず。しかし、今年はできませんでした。
理由はいくつかあります。
一つは、スケジュール管理が甘すぎたこと。
言っても言ってもやらなかったわけは、私にはわかりません。
4年生だから、就活を含めいろいろやることがあって、忙しくてできなかったのかもしれません。
でもだからこそ、どうにかしてやり遂げるにはどうしたらいいかを工夫しないといけませんでした。
それから、二つ目は勉強不足。
たぶん本人的には相当がんばって文献も読んだのに、、、と思ってるかもしれないんですが、全然整理できておらず、自分の中につみあがっていませんでした。
自分のもってる引き出しが少なすぎなんです。
卒論、ある程度考察できていれば、それは違うとかこうじゃないのとかディスカッションもできて、方向性も示せるんですが、それもできませんでした。
卒論は書く人のものなので、自分で考えるよりほかないんですけどね。
最後に来て致命的だったのが「論理を組み立てる」「論理的な文章を書く」ということが、全然できないということにこの時期になってようやく気付いたというところでしょうか。もしかしたら、気が付いてもいない人もいるかもしれません。低学年のうちから、きちんと読んできちんと書くということをしてこなければいけなかったのに、できてなかったのですね。
大学で学んだことのうち、専門の知識の大部分はそんなに役に立たないと思いますが、大学で学ぶということは、物事の捉え方、考え方、論理の組み立て、先を見通す力、説得できる文章力、などなどが鍛えられていくことなんです。しかしそれはすべて【積み上げる】もの。卒論はその集大成なので、付け焼刃では太刀打ちできません。
しかし、わたしのところの学生はけして怠け者じゃありません。
実験も必死でやったし、研究室も毎日さぼらず通って、ゼミでたくさん本や文献も読みました。
だけどそれでも足りなかったんです。
ものすごくがんばったのに、と思ってるのだったら、その程度の頑張りじゃどうにもならんということなんです。
厳しいようですが、社会に出る最後の時間であるこのときに、もしそのことに気付けたら、まだ間に合うかもしれない。
ここで「しょうがないね」とわたしが妥協したら、お互いに楽だろうけど楽したってしょうがないですから。ここは学びの場であり、成長の場なのですからね。
そのために、4年前にここに入学してきたし、わたしの研究室を選んで入ってきたのでしょうから。
次のチャンスは発表会。
ここであっと驚く成長が、見られる「かも」しれません。
昨年は、腰を抜かすほどの驚きがありました。
そういうねばりを期待しましょう。