(マリア地蔵。ウィキペディア「隠れキリシタン」より引用。)
秀吉は初めキリスト教を保護しました。それが一転、禁止にまわったのは何故でしょうか?
九州のキリシタン大名が寺社を破壊し始めたことや、ポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に売ったことなどが原因とされています。一神教の不寛容さが指摘されることもあります。
キリスト教が身分制度を否定しているから禁止された、という小中学校で教わった単純な図式は必ずしも正解ではなかったわけですね。どうしてそのようなことが学校で教えられたのでしょうか?
信長と一向一揆の関係を、秀吉が見ていたことも影響しているかもしれません。ほんとうに歴史は一筋縄ではいきませんね。
※今日、気にとまった短歌
梅雨晴れのまひるま汗は石走るたぎりて落つるこの禿頭を (神奈川県)中瀬真典