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(名古屋市学童保育連絡協議会HPより引用。)
保育所の待機児童が問題になっている。それもそうだが、保育所が預かる年齢は小学校就学までなのに小学生は早く帰ってくる。そこからがまた問題で「1年生問題」と言われている。
私は今でも共働きだが、1985年ころ息子や娘が小学校に入学するときには困った。近隣に同じような境遇の親たちがいて、学童保育所を作ろうという話になった。A君のお父さんがマネジメントに長けた人で、彼を中心に空き家を借り、お父さんたち(私も)が大工仕事をして空き家を改造。そこに20代男性の指導員を招き、独力で学童保育所を設立した。
学童保育所に行政が関与し始めたのは1997年のことで、私たちが学童保育所を作ったのは先駆的な仕事だった。
A君のお父さんは頑張って学童保育所を維持し、若い指導員の人生相談にも乗っていた。彼が指導員に「おまえは一生、指導員をやるつもりか?将来のことを考えておけ」と言っていた場面に偶然出くわした。鮮明に残った記憶である。
その後、A君のお父さんは定年退職し、名古屋から岐阜県に引っ越していった。私も当地に転勤となり、名古屋を離れた。
ところが先日、ほぼ30年ぶりにA君のお父さんから連絡があり、名古屋で呑みましょうという話になった。名古屋の料理屋に当時のお父さんたちが集まり、久々に旧交を温めた。みんな、すっかりお爺さんになっていた。むろん私もだが・・。
昔の子どもたちは、皆ちゃんとした大人になったそうで、立派にやっているらしい。東日本大震災のときもそうだったと思うのだが、日本では危機になると必ずA君のお父さんのような人が出現して、事態を収拾するのではないか?日本はいい国である。
Hda さんもそうだったと思うのですが、あのころは夢中でしたね。
今、私たちの子どもたちがその歳になろうとしています。
凄いですね。確かに私たちが子供の頃はまだ学童保育はありませんでした。あの時代にそのような活動をされていたとは驚きです。
私事ですが、あれから数年が経ち、昨年、再婚致しました。
子供共々、幸せに暮らしています。
先生には感謝の気持ちで一杯です。
子育ては大変でしょうが、頑張ってください。