院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

初七日、四十九日の意義(供養その4)

2014-12-13 22:45:52 | 文化

(ある法事の風景。太光寺のHPより引用。)

 法事は言うまでもなく生者のために行うものです。家族が亡くなると同時に遺族はまったく新しい環境に置かれます。遺族は葬式やいろいろな手続きに追われ、夜も寝られないような忙しい生活が続きます。

(年余にわたり病休した患者が会社復帰するときにも同様の立場になります。一種浦島太郎のようになっており、会社がまったく新しい環境に感じられ、最初の一週間はてんてこ舞いの状態になります。本人にはこのきびしい状態が永遠に続くように感じられ、会社復帰した患者がふたたび潰れるのは最初の一週間以内に集中します。これは身体病も心の病も同じです。)

 しかし、なんとか一週間をクリアし初七日を迎えると、遺族の気持ちはぐっと楽になります。そこで親戚一同が集まり法事を行うとそれ以後を過ごすエネルギーが湧いてきます。会社復帰も一週間たつと、何とかやって行けそうだという自信が生じます。

 (医療者は復帰する患者に対して、最初の一週間は大変だがそれ以後はウソのように楽になると、あらかじめ見通しを教えておくと患者はさいしょの一週間をがんばれます。)

 遺族にとって次なる節目は四十九日ごろに来ます。四十九日を迎えると故人がもう戻らないことが飲み込めてきます。四十九日の法要をやると、遺族の心の整理はぐんと進みます。

 (会社復帰した患者も同じで、四十九日ほどたつと会社の日常業務を苦労なく受け入れられるようになります。そのような人間の適応パターンを患者に教えておくことが大切です。そうすれば最初の一週間を乗り越えた患者は、今度は次の四十九日を努力目標とすることができます。宛てのない努力はつらいものです。一定の目安を医療者が予言しておくと、患者は少々の負担にもめげないで済みます。)

 むかしは、仏教の法事は七日ごとに毎回行うものでした。それが現在では初七日と四十九日の法要だけが残っています。これは初七日と四十九日ころが、故人がいなくなった新環境に遺族が適応していくための重要な節目の時期と重なっているからだと私は考えています。その時期に親類縁者が集まって酒食を共にしながら故人について語り合うことは、宗教上の形式的な儀礼だと片づけてしまうわけにはいかない一族建て直しの大切な知恵なのです。


※今日、気にとまった短歌

  思春期の娘の封書開けし悔い胸に持ちつつ八十を過ぐ (町田市)遠藤君江

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