(川端龍子作品「愛染」。ウィキペディアより引用)。
亡父が美術好きで(日本画、木彫)私は幼いころからよく上野の美術館群に連れていかれた。国立博物館の仏像や刀剣などは怖いだけで少しも感動しなかった。小学2年生のころである。
父は50センチくらいの木彫の仏像を彫っていた。そりゃあシロウトだから、デッサンに狂いがある。でも、シロウト木彫家を私は父以外に知らない。上の川端龍子展にも連れていかれた。川端氏が現場にいた。白髭の小柄なおじいさんだった。
中学に入ってから私は写真に凝った。写真も美術の一種と思い込んでいた。(いまは違う)。ご多分に漏れず漫画にも凝った。漫画誌ガロとかCOMの時代で、そこに一コマ漫画を投稿して一席を一再ならず取った。
高校時代は油絵を始めた。人物や静物を描いた。父も油絵をやってみたが、さすがに油絵はうまくなかった。父は日本画と木彫の人なのである。私の油絵はいまでも東京の実家に飾ってある。
こうしていろいろ美術に挑戦したが、ほんとうによい作品とはなんなのか、正直なところ未だに分からない。一回、絵画の専門学校にデッサンを送ったことがある。そしたらなんと校長が家まで押しかけてきて、入学するように懇願するのだ。医学部志望だった私は断るのに苦労をした。(美術はあくまでも趣味に留めておきたかった)。
高校時代の美術の教師が2名いて、両方とも日展出品の常連だった。友人と都美術館の日展を見に行ったことがある。私たちには美術の教師2名の作品のよしあしが分からなかった。入選にも入っていなかったし・・。(そのうちに分かるようになるだろうと軽く考えていた)。
大学でも写真クラブに入った。大2の時にはクラブ長にさせられた。一方、造形作品の展覧会にも行った。当時「行動展」という前衛の展覧会があったが、なんの技術も要らない思い付きのような「作品」ばかりで、がっかりした。4年前にここに書いた愛知トリエンナーレ展も似たようなもので、歴史は繰り返すとつくづく思った。
私はモダンジャズの演奏なら金額にしていくらの価値があるか、くらいまでのことは分かる。だが、高校時代に「(美術の価値は)そのうち分かるようになるだろう」と考えていたのは甘かった。実は未だに分からないのである。
知人に瀬戸の陶芸家、加藤博一氏がいる。彼からは私が豊橋に住まいを新築した時に、お祝いに高さ1メートルほどの壺をいただいた。彼の陶芸に対する価値判断は明快だった。それは「値段は作品につくのではなく作者の名前につくのだ」という意見である。そうかもしれないと思う。
(加藤博一氏の作品)。
私の人生も残りが少なくなってきて、けっきょく美術の価値(値段)は一生分からないまま終わるのだろうと、ちょっと寂しい気持ちなのだ。
※私の俳句(夏)
掛け時計一時を刻む熱帯夜