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(47ニュースより。センター試験会場。)
報道によれば、大学入試改革を議論している政府の教育再生実行会議は、大学に対して論文や面接を重視するように求めるという。
それは困る。大学は人当たりの良い爽やかな若者ばかりを育てる場ではない。少々変わっていても、ある道に精通する人物も育てなくてはならない。
これまで専門バカとか学者バカと言われて虐げられてきた人種が、面接で振り落とされては立つ瀬がないではないか。
どんなブスでも対人恐怖症者でも、勉強ならできるという者の生きる道を残しておかなければならぬ。大学とはそういうところなのだ。
参考:学会費の納入法
先生の危惧には同意します。
再生会議の素案では、一次試験はペーパーテストを実施し、習熟度をランク分け、二次試験で面接や論文、部活動、ボランティアといった活動歴で受験生の潜在能力を評価するとありました。
そもそも潜在能力が論文や面接等で判断できるのか、どういう判断基準で誰が判断するのか、大きな疑問と不安があります。
大学はさまざまな価値の多様性も求められていると思います。
京都で定年後生活より
いつも一撃でご理解いただき、ありがとうございます。
またコメント、お願いいたします。ごめんどうでもコメントいただくと、モチベーションが上がります。
京都で定年後生活さん
まったく面接でなにを判断しようとしているか分かりません。
就活ならどこを見るかおおよそ理解できますが、入試は就活とは違いますからね。
先日は弊ブログにコメントありがとうございました。
それでなくても学力低下が叫ばれているのに
この上人柄重視にしてどうするというのでしょう。
人柄さえよければOK・・・ということで医学部入試が行われたりすると恐ろしいですね。
変な時間に起きてしまいました。
古谷三敏の1984年のうんちく漫画「寄席芸人伝」に、生活態度はめちゃめちゃだが噺はうまい落語家の高座を聴きながら、師匠が連れに「性格は悪いが手術がうまい医者と、人柄はよいが手術が下手な医者と、お前さんならどちらに手術してもらう?」と訊ねるシーンがありました。