(紫雲堂のHPより引用。)
自宅の近くに幅8メートルほどの道路が東西に走っています。幹線道路というほどではありませんが、それに交わる南北の道路が4メートルとか6メートルですから、まあ主要道路といえるでしょう。
その道路には十字路がいくつもありますが、交通量が多くないので信号機がありません。信号機があると、車が走っていないときにも停車しなくてはならず、かえって邪魔になるでしょう。
いくつもある十字路のうち、さいきん一か所だけ信号機が設置されました。正直言って邪魔です。なぜ一か所だけ信号機が造られたのでしょうか?
じつはその十字路で、小学校2年生の男の子が交通事故死したのです。そのあと、その十字路にだけ信号機が設置されました。言うまでもなく、男の子を供養するために公安委員会が、さほど必要でない信号機を取り付けたのです。このようなものを「墓石信号」とか「墓石行政」と呼ぶのだそうです。
公安委員会はお役所ですが、ちゃんと血が通った供養もやるのですね。私たちはこの信号機を邪魔だと思いながら、赤で止められるたびに男の子の交通事故のことを思い出しますから、必ずしも無駄な信号機ではないと考えられるのです。
※今日、気にとまった短歌
地下道に風かよふ道ひらきゐて地上の音を歩みつつ聞く (犬山市)日比野正治