(眠気に対するビンタ実験。ガジェット通信より引用)。
「足を開け!胸を張れ!」という掛け声は、これからビンタを始めるという合図の掛け声だったらしいです。このようにして日本の旧軍隊ではビンタが日常的に行われていたようです。
シベリヤ帰りの亡父はビンタの経験があまりありません。それは父が士官だったからです。シベリヤでは日本軍での指揮系統が温存されました。温存したほうが統率がとれるとロシア軍は考えたようです。士官は拳銃の携行を許されていました。でも食い物は同じ。薄いおかゆのような配給ではとても足りず、被抑留者はネズミさえ獲って食べたそうです。
もっとも旧軍隊でビンタは「いじめ」の手段としても行われたようです。いかにも、ありそうなことです。
上官「便所掃除はちゃんとできたか?」
部下「できました!」
上官「自信あるか?」
部下「あります!」
上官「じゃあ、便器を舐めてみろ!」
このようにしてイジメは行われました。なにも体罰だけに限ったことではないようです。こうしたことは姿を変えて現代でも行われました。急に仲間外れにされるのです。私もされました。(小学生のころ)。でも、(問題児だった私は)そういう連中をすぐに殴ってしまい、それで即チャラになりました。
私の娘は小3で同じ経験をしました。仲間の女の子たちに突然無視されたのです。娘は意味がわからず目を白黒させていました。私は言ってやりました。
「そういう子はマトモな大人になれないよ。見ていてごらん」
娘は自分に非がないと分かって安心したようです。そして意地悪をしない子に育ちました。
話は元に戻りますが、私が中学生になると教師による暴力はなくなりました。これで毎日苦労しなくてすむとホッとしたものです。中学では勉強さえちゃんとやっていればいいのです。教師はみな紳士でした。
ただ例外が一例。あだなが「青パン」という体育教師です。同じクラスのH君は「青パン」のムシの居所具合で、ささいなことでボカボカに殴られました。クラスの全員が思いました。
「青パンって頭悪そ~」
私の中学の生徒は大部分が温和で意地悪をしない子たちでした。しかも、ものすごく勉強ができる。みんなとは現在でも仲良くしてもらっています。
※今日の俳句(夏)
八月を灯す火のあり忘るるな (亜紀)