大昔、その治療法が効くかどうかは、その道の権威者が「自分の経験ではこう思う」と言えば、それに従うしかなかった。
ところが、本当にそうか?という疑問が当然出てきて、治療法の有効性を統計学的に測定するようになってきた。統計学的データに基づいて行う医療をEBM(証拠に基づいた医療)という。
前回述べたように、コンピュータの普及によって、このような研究方法が容易になった。
一時、高血圧症の血圧の基準値が下げられたとき、「これでは必要以上に多くの人が高血圧症だということになってしまう。医者や製薬会社が儲けるために血圧の基準を下げたのだ」との批判があった。
だが、高血圧学会はそんなに守銭奴ではない。血圧の基準値はEBMによって変えられたのだ。高血圧学会がどのような根拠を用いたのか、マスコミは報道しないが調べれば分かる。
私が知っているデータは、腎障害(腎臓の微小血管の動脈硬化)のEBM的な研究である。いろんな血圧の人を大人数10年くらい追跡調査をして、血圧の高い人と低い人が将来どの程度、腎障害になるかが調べられた。
そうすると、最高血圧が130以上の人と以下の人で、腎障害の出現の仕方が「有意に」異なることが分かった。高血圧学会が腎障害だけを指標にしたわけではないが、このような指標が何種類も勘案されて、高血圧症の定義が変えられた。
EBM的な研究調査は、標本数(対象人数)が多く、調査期間が長いほど信頼性が増す。権威者がいくら「私の経験ではこう思う」と言っても、EBM的な調査にはかなわないのだ。
前回、「統計学は他人を説得するための手段である」と述べたのは、こういうことである。
ところが、本当にそうか?という疑問が当然出てきて、治療法の有効性を統計学的に測定するようになってきた。統計学的データに基づいて行う医療をEBM(証拠に基づいた医療)という。
前回述べたように、コンピュータの普及によって、このような研究方法が容易になった。
一時、高血圧症の血圧の基準値が下げられたとき、「これでは必要以上に多くの人が高血圧症だということになってしまう。医者や製薬会社が儲けるために血圧の基準を下げたのだ」との批判があった。
だが、高血圧学会はそんなに守銭奴ではない。血圧の基準値はEBMによって変えられたのだ。高血圧学会がどのような根拠を用いたのか、マスコミは報道しないが調べれば分かる。
私が知っているデータは、腎障害(腎臓の微小血管の動脈硬化)のEBM的な研究である。いろんな血圧の人を大人数10年くらい追跡調査をして、血圧の高い人と低い人が将来どの程度、腎障害になるかが調べられた。
そうすると、最高血圧が130以上の人と以下の人で、腎障害の出現の仕方が「有意に」異なることが分かった。高血圧学会が腎障害だけを指標にしたわけではないが、このような指標が何種類も勘案されて、高血圧症の定義が変えられた。
EBM的な研究調査は、標本数(対象人数)が多く、調査期間が長いほど信頼性が増す。権威者がいくら「私の経験ではこう思う」と言っても、EBM的な調査にはかなわないのだ。
前回、「統計学は他人を説得するための手段である」と述べたのは、こういうことである。