えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

いい仕事な文章

2009年08月13日 | 読書
昨日の文芸春秋についてちょっとだけフォローを入れます。
後ろの「昭和天皇」と宮城谷昌光さんの「三国志」はたいがいよいのです。
昨年も宮城谷「三国志」を取り上げました。今回は「泣いて馬ショクを斬る」で有名な街亭(がいてい)の戦いでしたがそれ以上に良かったのが、村上豊と宮城谷昌光の描く老将・趙雲です。

趙雲という武将は、三国志において、前半華やかな活躍を見せる若将軍……な印象が強く、どうしても劉備の死後影が薄くなりがちな男なのですが、よくよく読んでみると最後まで軍を率い続けて戦い抜いた、堅実だが非凡な活躍の目立つ男です。
宮城谷ドラマでは、老いた彼の独白が描かれます。
馬ショクの失策に撤退する蜀の兵たち、護るべき劉備はおろか、共に駆け馳せた関羽、張飛たちももういない。

『―志を果たしたとは、こういうことなのか。
 ときどき趙雲は関羽を想いだしては、そう問うてみた。
 ―中略―
 志を果たしたのは関羽であり、劉備ではないかもしれない。
 では、われに志はあったのか。
 趙雲はおのれをふりかえって目頭が熱くなった。


宮城谷さんは、想いのままに描くことがうまくなった、自分だけで陶酔して描くことがなくなったなあと思います。趙雲の独白は、老いた宮城谷さんが感じたことかもしれません。この時代の、時流と言うもの、歴史の流れを体感してさらに客観視した上で書いているものは、宮城谷さんの大いなる嘘です。
でも、流れを身体で分かっている人の筆致は、確かな歴史を描けていると思います。

三国志は、あまりにも登場人物が多すぎて、書こうとする人はほぼ、自分のお気に入りの人物にスポットを当てるか、事件の時々で目立った人をつなぎ合わせて歴史をつむごうとする傾向が強いと思います。まず「人物ありき」で描いてしまう。
ですが宮城谷さんは、もう誰がかっこいいかとかお気に入りの武将とかも当然あると思うのですが、それを一旦脇に置いて、大きな流れに目を向けています。
何か事件があれば、一度カメラをぐーっと遠ざけて、全体で何が起きているのか考える。宮城谷さんの頭で、事実の流れを確かめた後、流れを丁寧に追ってゆく。
追うときの筆の運びは流暢ですが、武将が言葉を吐くとき、ふ、とテンポがゆるみます。その場で、一人だけではなく関わった多くの武将の立場を切り替えて、言葉をつむいでゆくのをみると、一瞬群像劇のように、武将や兵士達がフラットに見えます。そうして平になったところをもう一度見直すと、お、なにかすごいことをした人がいるぞ、と改めて気づく。

宮城谷さんの、最高の仕事が今脈々とつむがれている、そういう気がします。


コメント
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