:岩波文庫「荘子」全四冊 金谷治訳注 1971~1882
―魚の楽しみを知り、夢に胡蝶を見て髑髏に枕する男
『「はしがき」で述べたように、この訳書の一つの特色として難語の解釈に力をいれるということがあった。『荘子』の文章は、ただことばの解釈だけではだめで、そこに難解とされる理由もあるのである。しかし、だからといって、訓話を無視して望文生義的に、前後の文章からかってに意味を考え出したり、荘子の思想というものを固定的に前提して、そこから意味をひねり出したりするようなゆき方には、抵抗があった。やはり、できるだけ文字に即して考えていくという態度をつらぬきたかった。』-「あとがき」より
つい最近まで、存命だったことを知らなかった人Part2。金谷治(1920-2006)、中国古代思想の研究者。昨年ちくま学芸文庫から発売された『孫臏兵法―もうひとつの<孫子>』は、初版が1976年で『荘子』の仕事中に完成した書籍だ。訳としては、『荘子』の外篇・雑篇のほうが後になる。それだけ『荘子』は難解だった、ともいえるし、それだけていねいに訳したかった、という思いもあるかもしれない。金谷治のことばの導きがなければ、私はなにも読めなかった、それは事実だ。
荘子は紀元前三世紀ごろに死んだ人らしい。始皇帝の100年前くらいの人だ。『史記』の司馬遷にかれの伝奇が書かれたころには既に没年250周年くらい経っている。ちょっと考えてみればとんでもない時間をくぐってきた本なのだ。この国が歴史の中で何度も何度も何度も何度も何度も何度も、政治的に本を焼き尽くしてきたことを見ると、よけいに「よく生き残ってくれた!」と肩があればばしばし叩きたくなってしまう(ここらへんの焚書事情については、『中国の禁書』が詳しい)。では荘子本人はどうだったか、というと、エピソードを読む限り変なひとじゃないかな、と思う。へんな話だが、母校にいそうな人だと思った。
お金に囚われないのかと思いきや借金を申し込みに行った相手に「今貸せないけど後でたくさん貸したげるから勘弁して」と言われると「たった今困ってるのに今この瞬間貸してくれなくてどーすんだ!」と、比喩を使って言い返す。王様にヘッドハンティングされても「身分に縛られるのはやだ」と、生贄にされる牛に譬えて言い返す。死に際に、葬式をあげようとする弟子へ「天地が棺おけで日月はその飾り。これ以上の葬儀はないよ」。でも死体を野ざらしにして鳥の餌には出来ない、と食いつく弟子を「鳥に食べられるのも蟻に食われるのも大して変わらないから」とスルーする。
言葉を放つ時の荘子は、人を食ったように余裕をもってぽんぽんと論がはずむ。それでいてあまり説教臭くない。相手を論破したり、自分の側に引き込んだりとか、余計なこと無しに言いたいことを言う。泳いでいる魚を見てその楽しみを感じたり、道ばたのしゃれこうべを枕にしたり、ライバルのような友達のような恵子(ケイコと読んではいけない)の死を嘆いたり、荘子のふとした行動は素朴に描かれている。「授髑髏、枕而臥」の六文字が投げ出されて文字を目が疑問なく辿り、「髑髏を授(ひ)いて、枕して臥す」と読んだところであれこの人何してるの、となる。
対話という形だと、どうしても相手をやりこめる、あるいは諭すという形になるのは仕方のないことだが、荘子の場合、「相手は相手、自分は自分」といった割りきりが、対話の中にあると思う。かといって割り切りすぎるのでもなく、やわらかく受け止めて、それからひねって返す。取りやすいけど球筋がひねくれているキャッチボールのような人だ。でも懐はでっかい。
荘周の思想から始まり荘周その人を総括して『荘子』は終る。
ひとつひとつの言葉を読み解く、そこではじめて『荘子』を読み終えた!と快哉を叫ぶことができるのだろうが、今は荘周その人を読めたことに満足して、本を閉じたい。
―魚の楽しみを知り、夢に胡蝶を見て髑髏に枕する男
『「はしがき」で述べたように、この訳書の一つの特色として難語の解釈に力をいれるということがあった。『荘子』の文章は、ただことばの解釈だけではだめで、そこに難解とされる理由もあるのである。しかし、だからといって、訓話を無視して望文生義的に、前後の文章からかってに意味を考え出したり、荘子の思想というものを固定的に前提して、そこから意味をひねり出したりするようなゆき方には、抵抗があった。やはり、できるだけ文字に即して考えていくという態度をつらぬきたかった。』-「あとがき」より
つい最近まで、存命だったことを知らなかった人Part2。金谷治(1920-2006)、中国古代思想の研究者。昨年ちくま学芸文庫から発売された『孫臏兵法―もうひとつの<孫子>』は、初版が1976年で『荘子』の仕事中に完成した書籍だ。訳としては、『荘子』の外篇・雑篇のほうが後になる。それだけ『荘子』は難解だった、ともいえるし、それだけていねいに訳したかった、という思いもあるかもしれない。金谷治のことばの導きがなければ、私はなにも読めなかった、それは事実だ。
荘子は紀元前三世紀ごろに死んだ人らしい。始皇帝の100年前くらいの人だ。『史記』の司馬遷にかれの伝奇が書かれたころには既に没年250周年くらい経っている。ちょっと考えてみればとんでもない時間をくぐってきた本なのだ。この国が歴史の中で何度も何度も何度も何度も何度も何度も、政治的に本を焼き尽くしてきたことを見ると、よけいに「よく生き残ってくれた!」と肩があればばしばし叩きたくなってしまう(ここらへんの焚書事情については、『中国の禁書』が詳しい)。では荘子本人はどうだったか、というと、エピソードを読む限り変なひとじゃないかな、と思う。へんな話だが、母校にいそうな人だと思った。
お金に囚われないのかと思いきや借金を申し込みに行った相手に「今貸せないけど後でたくさん貸したげるから勘弁して」と言われると「たった今困ってるのに今この瞬間貸してくれなくてどーすんだ!」と、比喩を使って言い返す。王様にヘッドハンティングされても「身分に縛られるのはやだ」と、生贄にされる牛に譬えて言い返す。死に際に、葬式をあげようとする弟子へ「天地が棺おけで日月はその飾り。これ以上の葬儀はないよ」。でも死体を野ざらしにして鳥の餌には出来ない、と食いつく弟子を「鳥に食べられるのも蟻に食われるのも大して変わらないから」とスルーする。
言葉を放つ時の荘子は、人を食ったように余裕をもってぽんぽんと論がはずむ。それでいてあまり説教臭くない。相手を論破したり、自分の側に引き込んだりとか、余計なこと無しに言いたいことを言う。泳いでいる魚を見てその楽しみを感じたり、道ばたのしゃれこうべを枕にしたり、ライバルのような友達のような恵子(ケイコと読んではいけない)の死を嘆いたり、荘子のふとした行動は素朴に描かれている。「授髑髏、枕而臥」の六文字が投げ出されて文字を目が疑問なく辿り、「髑髏を授(ひ)いて、枕して臥す」と読んだところであれこの人何してるの、となる。
対話という形だと、どうしても相手をやりこめる、あるいは諭すという形になるのは仕方のないことだが、荘子の場合、「相手は相手、自分は自分」といった割りきりが、対話の中にあると思う。かといって割り切りすぎるのでもなく、やわらかく受け止めて、それからひねって返す。取りやすいけど球筋がひねくれているキャッチボールのような人だ。でも懐はでっかい。
荘周の思想から始まり荘周その人を総括して『荘子』は終る。
ひとつひとつの言葉を読み解く、そこではじめて『荘子』を読み終えた!と快哉を叫ぶことができるのだろうが、今は荘周その人を読めたことに満足して、本を閉じたい。