初の個展と銘打たれた原画展が、昨年のサイン会に続いて同じ月に開催された。子供用書籍売り場と地下道を通りすぎる人々から横目で見られながら行われたあの時とはうってかわって、今度は西武池袋別館二階のギャラリーを借り、二百点近くの作品を展示するのだという。失礼に当たるまいと開場の十時前に並びにゆく。西武の本館を脇に歩みを進めると、柱にA4ほどの紙が貼りつけてあることに気づいた。
「諸星大二郎原画展 サイン本をお求めのお客様は無印良品脇の入り口よりお並びください」
といった文だったか、とにかくそれは案内にしてはまことにつつましやかで、よく見れば柱のところどころに貼ってあるのだが、その小ささがなんとも胸を打った。指示されたとおりにコンコースのある道路を渡り、無印良品の看板を目当てに進むと、脇の従業員用の入り口に無印良品の店員には不似合いな青いエプロンをつけた眼鏡の男が立っていた。リブロの店員に「原画展ですね、こちらへお並びください」と案内される螺旋階段には既に人が集まっていた。私の後に並んだ男の誰かが、『最後尾』の看板を持った「会社の幽霊」に登場した幽霊の男のような店員に尋ねた。「今、何人くらい並んでいますか。」
そういえば、限定五十名の人間にはサイン本を買う権利が与えられるのであった。背広の店員は螺旋階段を見上げ、「二十五人くらいですね」と答えた。時間を見ると開場まであと十五分もしなかった。
開場五分前、きれいに整列した一団が開店前の無印良品の家具の横を粛々と通り過ぎる。搬入口とコンコースが合体したような、ガラスの向こうに駐車場へ消える車が見えるドアの前で列は折り返した。開店が近いことを知らせるチャイムに合わせて、列の奥から先程の背広の男が丁寧な口調で何かを叫んでいる。男は列の一番前、中ほど、そして私の並ぶ折り返し地点で同じことを繰り返した。
「・・・今回のサイン本には、諸星先生のご厚意で一冊ずつイラストが描かれています。皆様お好きなキャラクターなどございますかと思われますが・・・」
特に否やはなかった。私はその先、サイン本を買うための手続きへ耳をそばだてた。一通り告げ終わると店員は一礼して去って行った。
またこそこそしたざわめきが列に広がる。なぜか私の前に立っていた、髪に白いものが混じる小太りの男が話しかけてきた。話しながら列が進んでいった。
「どの頃の絵がお好きですか」
「私は八十年代後半から九十年代くらいの絵が好きです。あなたは」
「ぼくはやっぱり、初期の絵が好きです。あのなんともいえない、雰囲気が・・・」
外国人向けのライターを仕事としている男は、何かを懐かしむような温かみのあることばで話した。
「ご同輩に知ってる方、いないでしょう」
「ええ、話せるのが嬉しくて、ついすみませんでした」
「いえいえ」
入場料を払い、私は男と別れた。
先にサイン本を買ってから、会場を逆戻りする。漫画原稿を据えた前半に比べて水彩画や雑誌、単行本などの表紙を飾る絵が後半は中心だった。端のガラスケースには中国南宋末期を舞台にした怪奇譚シリーズ「諸怪志異」の単行本に挿入された切り絵、サイン用に作られた西遊妖猿伝の登場人物の判子、色紙などが並んでいた。切り絵を眺めていると喉から手がせりあがってくるのを覚えて立ち去る。並ぶ絵には数点「未公開」とされているものがあった。諸星のカラー絵は主に水彩を塗り重ねて泥絵のように光沢を抑え、厚みを持たせて仕上げられている。それがゆるやかにゆがむ線と相まって絵にその世界の空気を醸し出させる。2011年に描かれた「縄文少女」の一枚が美しかった。あえて胸元に土器を抱えさせ、桃色の腕とむっちりした太ももがこちらを向いている。軽く開いた唇のぽってりとしたふくらみにうっすら引かれた桃色が花のつぼみのように潤いをもたらしている。内から何かが勢いよく弾けて現れるような、女になりかける寸前の少女のみごとな肢体だった。タンポポ色に塗られた背景そのままのような、健康で明るい娘だった。彼女をゆっくりと見回してから早足で、漫画家たちから送られたサイン色紙と花輪の並ぶ入り口に戻り、一つずつ原稿や原画、ラフスケッチを見て回った。懐かしい初期の作品から、「バイオの黙示録」、「グリムかも知れない」シリーズがずらり。二十年は連載している「西遊妖猿伝」の第一話の冒頭が何故かしら嬉しい。旧友のように一コマ一コマを眺め入りながら歩いていった。
だんだんと原稿が減り、「縄文少女」も並ぶ一枚絵が続く壁にその絵はあった。
「まどろむ家」と名付けられたその絵は、木々の緑が縁どる森の中、画面の中心で幅いっぱいに広がる巨木の幹に瞑目する瞼が描かれていた。巨木の上には開いたドアと、ドアに背を向けて階段を下りてゆかんとする一人の黒いローブの人物が立っている。幹は肌色に近いクチナシ色を塗り重ね、森の緑は日の光を透かしたように明るい緑だが、絵の具を濃く取り水を少なめに塗られたのか、色そのものは明るいにもかかわらずその「まどろむ家」が森の奥にあることを知らしめていた。タイトルの書かれた札には「未公開」の三文字。ただ描かれた、その絵。目覚めと眠りの間のまどろみの中で、僅かな呼吸が巨木の幹を波打たせる。深い眠りなのか、浅い眠りなのか、それも分からず、睫の長い瞼は軽く伏せられ、安らかに眠っている。住まいである巨木を起こさないようにそっと家から現れたものは、幹に刻まれた階段を見下ろしたところで止まっている。台詞も表情もない一枚の絵は、人間や生き物であふれていた漫画のコマ達とは明らかに違う佇まいだった。何とはなしに、ああ、こうしたものを漫画の間に描いていたのか、と言う思いがすっと心に入ってきた。この絵から話を生むことはそう難しい仕事ではないだろう。けれど、話を生み出したが最後、まどろむ家はまどろみ続ける家ではなくなってしまうだろう。誰かが家を出るその行為は動作だが、家のまどろみを揺るがすほど彼は動かない。添え物のように佇む。
「黒い布を頭から被ったもの」は一九七三年「不安の立像」に登場する餓鬼を思い起こさせるものの、人が近づくと素早くいじけたように身をかわす餓鬼とは違い、彼は微動だにせずそこに留まっている。ただし、佇む姿そのものの沈黙は電車の枕木の傍らで何かを待つ餓鬼と同じく、人に興味を抱かせながらも近づくことをためらわせる姿だ。これで布の下に何があるのかちらりとでも見え、かれが人間である、あるいは異形の者であることがはっきりとしてしまうとたちまちこの絵はストーリーに組み込まれた漫画になってしまう。あくまでも中心は瞑目した家で、扉から出る(あるいは返る)黒いかれは何者でもなく家を住処にする(あるいは家を訪れた)ものにすぎない。巨木のような家は森に囲まれて夢を静かに貪っていた。私はただそれが開かないかと冗談のようなことを考え名がら、女を思わざるを得ない瞼の伏せられた双眸に眺めいっていた。
(了)
「諸星大二郎原画展 サイン本をお求めのお客様は無印良品脇の入り口よりお並びください」
といった文だったか、とにかくそれは案内にしてはまことにつつましやかで、よく見れば柱のところどころに貼ってあるのだが、その小ささがなんとも胸を打った。指示されたとおりにコンコースのある道路を渡り、無印良品の看板を目当てに進むと、脇の従業員用の入り口に無印良品の店員には不似合いな青いエプロンをつけた眼鏡の男が立っていた。リブロの店員に「原画展ですね、こちらへお並びください」と案内される螺旋階段には既に人が集まっていた。私の後に並んだ男の誰かが、『最後尾』の看板を持った「会社の幽霊」に登場した幽霊の男のような店員に尋ねた。「今、何人くらい並んでいますか。」
そういえば、限定五十名の人間にはサイン本を買う権利が与えられるのであった。背広の店員は螺旋階段を見上げ、「二十五人くらいですね」と答えた。時間を見ると開場まであと十五分もしなかった。
開場五分前、きれいに整列した一団が開店前の無印良品の家具の横を粛々と通り過ぎる。搬入口とコンコースが合体したような、ガラスの向こうに駐車場へ消える車が見えるドアの前で列は折り返した。開店が近いことを知らせるチャイムに合わせて、列の奥から先程の背広の男が丁寧な口調で何かを叫んでいる。男は列の一番前、中ほど、そして私の並ぶ折り返し地点で同じことを繰り返した。
「・・・今回のサイン本には、諸星先生のご厚意で一冊ずつイラストが描かれています。皆様お好きなキャラクターなどございますかと思われますが・・・」
特に否やはなかった。私はその先、サイン本を買うための手続きへ耳をそばだてた。一通り告げ終わると店員は一礼して去って行った。
またこそこそしたざわめきが列に広がる。なぜか私の前に立っていた、髪に白いものが混じる小太りの男が話しかけてきた。話しながら列が進んでいった。
「どの頃の絵がお好きですか」
「私は八十年代後半から九十年代くらいの絵が好きです。あなたは」
「ぼくはやっぱり、初期の絵が好きです。あのなんともいえない、雰囲気が・・・」
外国人向けのライターを仕事としている男は、何かを懐かしむような温かみのあることばで話した。
「ご同輩に知ってる方、いないでしょう」
「ええ、話せるのが嬉しくて、ついすみませんでした」
「いえいえ」
入場料を払い、私は男と別れた。
先にサイン本を買ってから、会場を逆戻りする。漫画原稿を据えた前半に比べて水彩画や雑誌、単行本などの表紙を飾る絵が後半は中心だった。端のガラスケースには中国南宋末期を舞台にした怪奇譚シリーズ「諸怪志異」の単行本に挿入された切り絵、サイン用に作られた西遊妖猿伝の登場人物の判子、色紙などが並んでいた。切り絵を眺めていると喉から手がせりあがってくるのを覚えて立ち去る。並ぶ絵には数点「未公開」とされているものがあった。諸星のカラー絵は主に水彩を塗り重ねて泥絵のように光沢を抑え、厚みを持たせて仕上げられている。それがゆるやかにゆがむ線と相まって絵にその世界の空気を醸し出させる。2011年に描かれた「縄文少女」の一枚が美しかった。あえて胸元に土器を抱えさせ、桃色の腕とむっちりした太ももがこちらを向いている。軽く開いた唇のぽってりとしたふくらみにうっすら引かれた桃色が花のつぼみのように潤いをもたらしている。内から何かが勢いよく弾けて現れるような、女になりかける寸前の少女のみごとな肢体だった。タンポポ色に塗られた背景そのままのような、健康で明るい娘だった。彼女をゆっくりと見回してから早足で、漫画家たちから送られたサイン色紙と花輪の並ぶ入り口に戻り、一つずつ原稿や原画、ラフスケッチを見て回った。懐かしい初期の作品から、「バイオの黙示録」、「グリムかも知れない」シリーズがずらり。二十年は連載している「西遊妖猿伝」の第一話の冒頭が何故かしら嬉しい。旧友のように一コマ一コマを眺め入りながら歩いていった。
だんだんと原稿が減り、「縄文少女」も並ぶ一枚絵が続く壁にその絵はあった。
「まどろむ家」と名付けられたその絵は、木々の緑が縁どる森の中、画面の中心で幅いっぱいに広がる巨木の幹に瞑目する瞼が描かれていた。巨木の上には開いたドアと、ドアに背を向けて階段を下りてゆかんとする一人の黒いローブの人物が立っている。幹は肌色に近いクチナシ色を塗り重ね、森の緑は日の光を透かしたように明るい緑だが、絵の具を濃く取り水を少なめに塗られたのか、色そのものは明るいにもかかわらずその「まどろむ家」が森の奥にあることを知らしめていた。タイトルの書かれた札には「未公開」の三文字。ただ描かれた、その絵。目覚めと眠りの間のまどろみの中で、僅かな呼吸が巨木の幹を波打たせる。深い眠りなのか、浅い眠りなのか、それも分からず、睫の長い瞼は軽く伏せられ、安らかに眠っている。住まいである巨木を起こさないようにそっと家から現れたものは、幹に刻まれた階段を見下ろしたところで止まっている。台詞も表情もない一枚の絵は、人間や生き物であふれていた漫画のコマ達とは明らかに違う佇まいだった。何とはなしに、ああ、こうしたものを漫画の間に描いていたのか、と言う思いがすっと心に入ってきた。この絵から話を生むことはそう難しい仕事ではないだろう。けれど、話を生み出したが最後、まどろむ家はまどろみ続ける家ではなくなってしまうだろう。誰かが家を出るその行為は動作だが、家のまどろみを揺るがすほど彼は動かない。添え物のように佇む。
「黒い布を頭から被ったもの」は一九七三年「不安の立像」に登場する餓鬼を思い起こさせるものの、人が近づくと素早くいじけたように身をかわす餓鬼とは違い、彼は微動だにせずそこに留まっている。ただし、佇む姿そのものの沈黙は電車の枕木の傍らで何かを待つ餓鬼と同じく、人に興味を抱かせながらも近づくことをためらわせる姿だ。これで布の下に何があるのかちらりとでも見え、かれが人間である、あるいは異形の者であることがはっきりとしてしまうとたちまちこの絵はストーリーに組み込まれた漫画になってしまう。あくまでも中心は瞑目した家で、扉から出る(あるいは返る)黒いかれは何者でもなく家を住処にする(あるいは家を訪れた)ものにすぎない。巨木のような家は森に囲まれて夢を静かに貪っていた。私はただそれが開かないかと冗談のようなことを考え名がら、女を思わざるを得ない瞼の伏せられた双眸に眺めいっていた。
(了)