電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

半藤一利『幕末史』を読む

2009年09月20日 05時29分42秒 | -ノンフィクション
新潮社刊の単行本で、半藤一利著『幕末史』を読みました。この本は、黒船来航から西南戦争までの激動の時代を、どちらかといえば幕府の側から一般向けに語った講座を編集したものだそうです。したがって、自ら「反薩長史観」に基づいて、と宣言し、歯に衣着せぬ語り口調で、皇国史観は薩長藩閥のご都合史観であると意気軒昂です。その意味では、いっぷう変わった歴史講談のようですが、先に読み終えた中央公論社『世界の歴史第25巻・アジアと欧米世界』と書きぶりは対照的ながら、内容的にはかなり共通するところが多いことに驚きました。
幕府の情報収集や日米交渉は成果を挙げていたこと、徳川幕府の転覆を行った薩長のテロリストたちは新しい国家の構想や設計図は持っていなかったこと、庶民は明治を逆に読んで「治まるめい(明)」と言っていたなど、なるほど現代の歴史学の成果は、こうした点では一致するのだな、と感じます。
当方、小・中学校で習った日本の歴史では、時代遅れとなった無能な徳川幕府が諸外国と屈辱的な不平等条約を結んだことに、薩長を中心とする若きヒーローたちが怒り、幕府を転覆して新しい国づくりにはげんだ、とされておりました。著者に言わせれば、まさに皇国史観、薩長史観の残滓でありましょう。
しかし面白いもので、薩摩藩のかつての主君・島津久光が、ほぼ独裁となった大久保利通らを亡国の政府とみなしていたことなど、後の日清・日露戦争を経て日中・太平洋戦争に続く歴史を思えば、当たっていたな、と思ってしまいます。
戊辰戦争で朝敵とされた藩は、県名と県庁所在地が別にされたとか、陸海軍内部での薩長優先、出身県によるエコヒイキとか、実際に聞いたことのある話だけに、「そりゃないでしょう!」
著者は、こんなふうにさえ言っています。

作家の永井荷風は、大日本帝国は薩長がつくり、薩長が滅ぼしたという意味のことを書いていますが、まさにその通り。ついでに差別された賊軍出身者が国を救った、と付け加えておきます。(p.395)

なるほど、たしかに戦争終結内閣の鈴木貫太郎首相は薩長ではなく、賊軍側の関宿藩でした。その意味では、賊軍側の藩出身者が戦争終結~平和に導いた、という指摘は鋭い。ただし、これは、薩長出身者がというよりもむしろ、「権力にすり寄る者は驕り、疎外される側は本質的に考えさせられる場面が多い」という一般的傾向を表すものなのでは。
そういえば、陸軍上層部と対立しながらドイツ人捕虜たちに人道的に接した、映画「バルトの楽園」(*)の主人公も、戊辰戦争で徹底的に痛めつけられた、会津藩の出身でした。
なにをいまさら戊辰戦争を持ち出すのかと思わないでもないのですが、講談調歴史学ならばそれも許容の範囲、笑って楽しみました。

(*):「バルトの楽園」を見る~電網郊外散歩道
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