財津和夫さんの話し方は、独特の「間」と「抑揚」があり、聞く者を
大変心地よくしてくれます。
本人は、ああいう謙虚な方ですから、話下手でね、とおっしゃいます
が、本当に(のべつ幕なく、意味なくしゃべりまくるのとは違って)話
上手なひとです。
今回のライヴでも、「若い頃は、目に見えない何かに引き付けられて
お互いが好きになる。年をとると、そんなものなんにもなくなる。まわ
りにまったくなくなる。そのかわり、今度はお互いの力、努力だけで引
き付けあう。」という話が印象的です。
以前の、奥の深い興味ある、財津和夫さんの話です。
福岡の街の橋で偶然、同級生の女性にばったり会った時のこと。
同級生の女性 「財津くん。今、なんば、しよっとね。」
財津 「なんも、しよっとらん。」
(博多弁はだいたいこんなものか、という程度です。)
財津さんは、この当時、高校卒業後、経済的な事情で進学できずに、
パチンコ通いの毎日です。
女性 「なんもしよっとらん、て。どげん、しよるつもりね。」
財津 「どげんも、しよらんと。」
女性 「どげんもしよらん、て。いまどき、大学くらいは出ておかんと
ね。」
財津 「大学いうても、家にお金ないから、授業料払えんと。母がそう
言うとるけん。」
女性 「なに言うとるね。母親というものはね。決めてしまえば、お金
ぐらいは、わが子のためにはなんとかするもんよ。」
この話をきっかけにして、財津さんは受験勉強に励んで、翌年地元の
大学に進学します。
しかし、この女性。街で見かけた当時の財津さんは、多分見るからに
目的を見つけれない行き場のない生き方が姿にでていたでしょうから、
そのままやり過ごしてよかったはずです。
同級生だったとはいえ、そういう財津さんに声をかけ、大学への進学
を進め、母親の子を思う感情を見事に伝えた、その知性、母性、社会性
をすべて備えた、すばらしい女性像、パーソナリティが溢(あふ)れか
えっている会話であった。
財津さんからこの話を聞いた時に、ただ、ただこの女性の人間の「器」
の大きさに感心したものです。
財津さんは、地元の宗教系の大学に進学して、所属学部のコースには
ない宗教音楽の授業にはよく出席したと言っています。
当大学のチャペル建て替えに合わせて開催されたホームカミング・ディ
の第1回目のゲストに財津和夫さんが招かれて、建て替え前の最後のチャ
ペル講堂で学長ほか関係者を前に「大学生活で得たもの」と題して講演会
(そのあと数曲のライヴ)をおこなっています。
大学生活で得た自由で多岐に渡る青春が、その後の音楽活動の創造力に
もつながっているとすれば、あの時の同級生の女性の「いきた言葉」が、
財津さんのその後の人生を拓いたということでしょう。
大変心地よくしてくれます。
本人は、ああいう謙虚な方ですから、話下手でね、とおっしゃいます
が、本当に(のべつ幕なく、意味なくしゃべりまくるのとは違って)話
上手なひとです。
今回のライヴでも、「若い頃は、目に見えない何かに引き付けられて
お互いが好きになる。年をとると、そんなものなんにもなくなる。まわ
りにまったくなくなる。そのかわり、今度はお互いの力、努力だけで引
き付けあう。」という話が印象的です。
以前の、奥の深い興味ある、財津和夫さんの話です。
福岡の街の橋で偶然、同級生の女性にばったり会った時のこと。
同級生の女性 「財津くん。今、なんば、しよっとね。」
財津 「なんも、しよっとらん。」
(博多弁はだいたいこんなものか、という程度です。)
財津さんは、この当時、高校卒業後、経済的な事情で進学できずに、
パチンコ通いの毎日です。
女性 「なんもしよっとらん、て。どげん、しよるつもりね。」
財津 「どげんも、しよらんと。」
女性 「どげんもしよらん、て。いまどき、大学くらいは出ておかんと
ね。」
財津 「大学いうても、家にお金ないから、授業料払えんと。母がそう
言うとるけん。」
女性 「なに言うとるね。母親というものはね。決めてしまえば、お金
ぐらいは、わが子のためにはなんとかするもんよ。」
この話をきっかけにして、財津さんは受験勉強に励んで、翌年地元の
大学に進学します。
しかし、この女性。街で見かけた当時の財津さんは、多分見るからに
目的を見つけれない行き場のない生き方が姿にでていたでしょうから、
そのままやり過ごしてよかったはずです。
同級生だったとはいえ、そういう財津さんに声をかけ、大学への進学
を進め、母親の子を思う感情を見事に伝えた、その知性、母性、社会性
をすべて備えた、すばらしい女性像、パーソナリティが溢(あふ)れか
えっている会話であった。
財津さんからこの話を聞いた時に、ただ、ただこの女性の人間の「器」
の大きさに感心したものです。
財津さんは、地元の宗教系の大学に進学して、所属学部のコースには
ない宗教音楽の授業にはよく出席したと言っています。
当大学のチャペル建て替えに合わせて開催されたホームカミング・ディ
の第1回目のゲストに財津和夫さんが招かれて、建て替え前の最後のチャ
ペル講堂で学長ほか関係者を前に「大学生活で得たもの」と題して講演会
(そのあと数曲のライヴ)をおこなっています。
大学生活で得た自由で多岐に渡る青春が、その後の音楽活動の創造力に
もつながっているとすれば、あの時の同級生の女性の「いきた言葉」が、
財津さんのその後の人生を拓いたということでしょう。