(1)公判停止(suspension of trial)となっていた殺人罪で起訴された「被告」の裁判が、裁判所の独自の判断で17年ぶりに審議再開され、即、公訴を棄却する判決を下したというニュースがあった。
被告が当時心神喪失状態で訴訟能力がないとして病状が回復するまで公訴停止となっていた事例だ。公訴した検察が公判継続の意見書を出していたが、裁判所は独自の判断で被告の病状に回復の見込みがないとして、公訴を棄却する決定を下した。
(2)刑訴法上、公判停止後裁判所の独自の判断で公訴を棄却できる規定もない中での、裁判所の公判維持責任の立場からの棄却判断だ。
結果としては遺族の感情は考慮されずに、遺族、被告の不確定な立場をいつまでも放置もできない、解消するために、事件は司法上解明されないことになった。
17年も待たされたあげくに公訴棄却の決定を受けた遺族は、「今は怒りと恨みだけ」(報道)と持っていきようのないむなしさを訴えた。
(3)正常な判断能力を欠いた被告の事件を尋問することも審理することもできないが、それでは本来救済されるべき遺族の権利、利益はあまりに不当な差別、取り扱いを受けることになる。
17年の長い年月を待たずに適切な司法判断、対応、措置が出来なかったものなのか考えさせられる。
事件は年月が経過すれば風化し、真実解明がより困難になるものだけに、一定期間内での審理、結論は必要だ。日本の裁判は諸外国に比べて公判年月の長さが問題になっており、より迅速な審理、判決が課題でもあった。
(4)審理を尽くすことが司法の最大の責任ではあるが、それは必ずしも年月を重ねることではない。むしろ年月を重ねることが真実の解明に障害となる事例は、今も名張毒ブドウ酒事件のように再審請求のくり返しで半世紀が過ぎて複雑さを深める結果となっている。
冒頭の事例は証拠能力がどれほどのものであったのかは不明だが、立証能力はかっての「自白」重視から「証拠主義」に移行し、近年はこれに「状況証拠」による司法判断も判例として採用されており、被告の訴訟能力の有無とは別に「事例」によっては確定的な証拠、状況証拠による立証、審理、判決が構成されてもいいのではないのか。
(5)そこで裁判審理を終結しておいて、確定犯の回復を待って刑を執行する、ないしは手続きにより再審を開始する司法方法論はある。
被害者、遺族、被告をみだりにいつまでも審理もせずに不確定な立場のまま空白期間の中に置かないのが司法の責任、役割でもある。
もちろん大前提となるのは真実の解明、十分な審理であり、不確定要素の多い事件、事例まですべてというわけにはいかないのは当然のことだ。
(6)冒頭の事例は、法令にもとづかない裁判所の独自(責任)の判断による一方的な公訴棄却で専門家の見方も二分されているが、公訴権者の検察に公判維持の適切な判断、見通しを「求める」裁判所の指導があってもよかったのではないのか。
被告が当時心神喪失状態で訴訟能力がないとして病状が回復するまで公訴停止となっていた事例だ。公訴した検察が公判継続の意見書を出していたが、裁判所は独自の判断で被告の病状に回復の見込みがないとして、公訴を棄却する決定を下した。
(2)刑訴法上、公判停止後裁判所の独自の判断で公訴を棄却できる規定もない中での、裁判所の公判維持責任の立場からの棄却判断だ。
結果としては遺族の感情は考慮されずに、遺族、被告の不確定な立場をいつまでも放置もできない、解消するために、事件は司法上解明されないことになった。
17年も待たされたあげくに公訴棄却の決定を受けた遺族は、「今は怒りと恨みだけ」(報道)と持っていきようのないむなしさを訴えた。
(3)正常な判断能力を欠いた被告の事件を尋問することも審理することもできないが、それでは本来救済されるべき遺族の権利、利益はあまりに不当な差別、取り扱いを受けることになる。
17年の長い年月を待たずに適切な司法判断、対応、措置が出来なかったものなのか考えさせられる。
事件は年月が経過すれば風化し、真実解明がより困難になるものだけに、一定期間内での審理、結論は必要だ。日本の裁判は諸外国に比べて公判年月の長さが問題になっており、より迅速な審理、判決が課題でもあった。
(4)審理を尽くすことが司法の最大の責任ではあるが、それは必ずしも年月を重ねることではない。むしろ年月を重ねることが真実の解明に障害となる事例は、今も名張毒ブドウ酒事件のように再審請求のくり返しで半世紀が過ぎて複雑さを深める結果となっている。
冒頭の事例は証拠能力がどれほどのものであったのかは不明だが、立証能力はかっての「自白」重視から「証拠主義」に移行し、近年はこれに「状況証拠」による司法判断も判例として採用されており、被告の訴訟能力の有無とは別に「事例」によっては確定的な証拠、状況証拠による立証、審理、判決が構成されてもいいのではないのか。
(5)そこで裁判審理を終結しておいて、確定犯の回復を待って刑を執行する、ないしは手続きにより再審を開始する司法方法論はある。
被害者、遺族、被告をみだりにいつまでも審理もせずに不確定な立場のまま空白期間の中に置かないのが司法の責任、役割でもある。
もちろん大前提となるのは真実の解明、十分な審理であり、不確定要素の多い事件、事例まですべてというわけにはいかないのは当然のことだ。
(6)冒頭の事例は、法令にもとづかない裁判所の独自(責任)の判断による一方的な公訴棄却で専門家の見方も二分されているが、公訴権者の検察に公判維持の適切な判断、見通しを「求める」裁判所の指導があってもよかったのではないのか。