(1)浦和レッズの主催試合でホームスタジアム観客入場口の上に掲げられた「japanese only」の横断幕が人種差別を主導するものだとして、これを掲げたサポーターグループ、知りながら撤去などの適切な対応を取らなかったホームチーム管理責任者に対して、サッカーJリーグはサポーターグループに無期限のスタジアム入場禁止と同ホームチーム浦和レッズには次回ホームゲームを無観客試合(non spectator game)とする制裁を下した。
Jリーグ規定に基づく最も重い制裁措置だ。日本と違って過激な行動の観客応援者を抱える本場ヨーロッパサッカーではたびたび過激応援者同士の乱闘事件やグラウンド選手への暴力行為、妨害行為(放火、発煙筒投下など)を目にする(映像)ことがあり、選手の安全を守る立場から無観客試合や入場制限試合を聞くことはあるし、近くではサッカー日本代表が北朝鮮国内での国際試合で国際サッカー連盟の指示で無観客試合となったことが記憶にあたらしい。
(2)公式ゲームでは選手のモチーブ・パワー(motive power)を高める観客、応援者の存在は大きく、広いスタジアムに満員の観客に見られている高揚感、緊張感が想像以上に高い躍動感、活力を生むし、逆にプレッシャーとなって大きく力、気持ちを委縮させてしまう功罪両様のともなうものだ。どちらにしてもゲームの醍醐味を味わえる。
これが広いスタジアムがガランとして誰もいない中での無観客試合となれば、高揚感、緊張感も出しようもなく闘う選手の気持ちをコントロールすることなどむずかしい、生理精神医学的に抑圧された異常性といえる制裁行為だ。
(3)グラウンド内の選手の安全性が守れないような無統制状況の回避のためならいざしらず、そうでない場合の無観客試合の制裁はちょっと思想的に極端、サディズム(sadism)的ではないかと賛成できない。
今回のケースでは、あきらかな人種差別的意思を文字にして入場ゲート口の上に掲げたサポーターグループの制裁は公正、公平なスポーツゲーム運営上、また人道主義上当然で、この事実を知りながら(報道)放置していたゲーム主催者、管理者の浦和レッズのゲーム管理、運営責任は大きく、グラウンドの選手には直接的には責任はないが浦和レッズ選手はホームゲームの所属チーム管理責任として全体責任のなかに共同連帯責任として組み込まれるものとしてその責任の一端は負わなければならない。
(4)相手チーム選手、同応援サポーター、一般観客にはこの問題では何の責任も落ち度もなく、むしろ被害者の立場にある。広くJリーグ全体の問題意識として、責任として共同連帯責任を負う構成員であると見れないこともないが、むしろ区別して守られるべき善意(good will)の利益者であるはずだ。
幸いにも次回無観客試合の相手チームの清水エスパルスの外国人監督は「Jリーグのスタンスは理解できる」(報道)と協力的ではあるが、直接責任のない同チーム選手はどうか、同サポーターはどうなのか(報道では、入場応援できないことに不満はある)、楽しみにしていた一般観客はどうなのか。
(5)今回のこのケースでの無観客試合制裁は、毅然としたJリーグの国際サッカー・パラダイム(paradigm)感覚に沿った決定方針ではあるが、本来守られるべき「善意者」への配慮のない目に見えて極端なサディスティック(sadistic)なものだ。
浦和レッズの「不戦敗」制裁でよかったのではないのか。
Jリーグ規定に基づく最も重い制裁措置だ。日本と違って過激な行動の観客応援者を抱える本場ヨーロッパサッカーではたびたび過激応援者同士の乱闘事件やグラウンド選手への暴力行為、妨害行為(放火、発煙筒投下など)を目にする(映像)ことがあり、選手の安全を守る立場から無観客試合や入場制限試合を聞くことはあるし、近くではサッカー日本代表が北朝鮮国内での国際試合で国際サッカー連盟の指示で無観客試合となったことが記憶にあたらしい。
(2)公式ゲームでは選手のモチーブ・パワー(motive power)を高める観客、応援者の存在は大きく、広いスタジアムに満員の観客に見られている高揚感、緊張感が想像以上に高い躍動感、活力を生むし、逆にプレッシャーとなって大きく力、気持ちを委縮させてしまう功罪両様のともなうものだ。どちらにしてもゲームの醍醐味を味わえる。
これが広いスタジアムがガランとして誰もいない中での無観客試合となれば、高揚感、緊張感も出しようもなく闘う選手の気持ちをコントロールすることなどむずかしい、生理精神医学的に抑圧された異常性といえる制裁行為だ。
(3)グラウンド内の選手の安全性が守れないような無統制状況の回避のためならいざしらず、そうでない場合の無観客試合の制裁はちょっと思想的に極端、サディズム(sadism)的ではないかと賛成できない。
今回のケースでは、あきらかな人種差別的意思を文字にして入場ゲート口の上に掲げたサポーターグループの制裁は公正、公平なスポーツゲーム運営上、また人道主義上当然で、この事実を知りながら(報道)放置していたゲーム主催者、管理者の浦和レッズのゲーム管理、運営責任は大きく、グラウンドの選手には直接的には責任はないが浦和レッズ選手はホームゲームの所属チーム管理責任として全体責任のなかに共同連帯責任として組み込まれるものとしてその責任の一端は負わなければならない。
(4)相手チーム選手、同応援サポーター、一般観客にはこの問題では何の責任も落ち度もなく、むしろ被害者の立場にある。広くJリーグ全体の問題意識として、責任として共同連帯責任を負う構成員であると見れないこともないが、むしろ区別して守られるべき善意(good will)の利益者であるはずだ。
幸いにも次回無観客試合の相手チームの清水エスパルスの外国人監督は「Jリーグのスタンスは理解できる」(報道)と協力的ではあるが、直接責任のない同チーム選手はどうか、同サポーターはどうなのか(報道では、入場応援できないことに不満はある)、楽しみにしていた一般観客はどうなのか。
(5)今回のこのケースでの無観客試合制裁は、毅然としたJリーグの国際サッカー・パラダイム(paradigm)感覚に沿った決定方針ではあるが、本来守られるべき「善意者」への配慮のない目に見えて極端なサディスティック(sadistic)なものだ。
浦和レッズの「不戦敗」制裁でよかったのではないのか。