(1)「ケネディ神話」というのがあるとすれば、兄のJ.F.ケネディ元大統領、弟のロバート・ケネディ元司法長官がともに任期途中で銃撃され非業の死をとげて、それからの完結編(conclusive chapter)がどうなったかわからない、未知の「神話」だ。
(2)ともに有能な米国、世界を動かす存在感の大きい政治家として大きな期待を持たれて、米国時代、政治社会に「改革」が期待されていただけに「神話」の完結編が見られないのは惜しい限りだ。
今、米国で問題となっている有史以来の人種黒人差別、銃社会に何らかの変化、進展、期待そして米国社会革命が起きていた可能性もないわけではない。核兵器競争時代にもキューバ危機の教訓から新しい時代の改革が期待できた。
(3)そういう自由主義の革命的カリスマ性が当時のケネディ大統領、司法長官にはあった。その大統領選を目指したロバート・ケネディ司法長官の子息ロバート・ケネディ・ジュニアが現在進行中の大統領選に立候補した。
普通ならJ.F.ケネディ、ロバート・ケネディ氏が所属した民主党からその「ケネディ神話」を継ぐものとして大きな期待を持たれての立候補というのが筋書きのはずが、ケネディ家の威光から見限られて支持もなく二大政党政治の米国では存在感のない「無所属」としての立候補だったのは意外なようで、すでに「ケネディ家」の威光、政治的影響力は過去のものとの「原話」でしかないことを示した。
(4)ロバート・ケネディ・Jは長年環境派弁護士を務めて70才になって最後の仕事として大統領選を目指したが、民主党からではなく無所属という推されもしない泡沫候補でしかなかった。ケネディ家の威光に反した大統領選立候補だった。
民主党がバイデン大統領からハリス副大統領に候補者変更して、ロバート・ケネディ・J候補はそのハリス候補に協力の歩み寄りをみせて断られると、今度は選挙戦略上目立つもの何でもありの対立候補の共和党トランプ候補と手を組むという無分別が利用されて、ケネディ家は「父と家族が最も大切にしてきた価値観への裏切りだ」(報道)として「悲しい物語の、悲しい結末だ」と結んだ。
(5)ケネディ家として政治家、政治の道を目指さず(それはそれで意味はあったはずだが)、弁護士の道が長い中、人生のキャリアの最後をやはりケネディ家「神話」の大統領候補に求めた間違い、錯誤、見誤りだった。
しかし、ロバート・ケネディ・Jの行動が比較として冒頭のような「ケネディ神話」の完結編のあるべき期待の「大きさ」と「原話」を際立たせる結果をみせることになった。
(6)今、米国民が高令者同士の2期連続の大統領選をみせられて失望し思うのは、若い力、カリスマ性の大統領出現の期待、夢見る「ケネディ神話」なのか、しかしみせられているのはいつまでも神話ではいられない原話だ。
「ケネディ」なら誰でもいい時代ではない。