
大悟の故郷は、あの人と同じだった。
その風景、方言に、彼の幼き日を思った。
モントリオールでも、日本アカデミーでも、賞を取った「おくりびと」は、
ロードショーが終わった後の、地元の小ホールを満員にした。
モックンの困った顔は、小島よしおに似ていた。
本人いわく、「自虐、自滅、自己嫌悪」の人だそうである。
作品は違っても、彼の役どころはいつも、
真剣でもユーモアがあるのが、今回も共通している。
広末の着ていた、リブ編みの白いセーターが可愛かった。
前髪を厚くした余貴美子の色気は、年相応に美しいと思った。
事務員の彼女が、
「自分が死んだら、この人に納棺してほしいと思ったから、ここに来た。」
という意味が、よくわかるほど、
山努は、いい感じに年を取り、安心できる納棺師そのものだった。
「死」ほど大きな共通の悲しみは無い
ひたすら、死んだ人を納棺する話である。
身内の葬式とか、納棺の経験のある無しに関わらず、
それが全くの他人事であっても、
その厳かな儀式の前で、何度も涙してしまう。
この映画から受ける印象は、
秋川雅史の「千の風になって」が、
多くの人に受け入れられた時と似ている。
納棺時のBGMも良く、
大悟が土手で、チェロを奏でる様子は、
宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思わせた。
現実的には、納棺師の仕事を蔑み、離れて行った妻や、
30年も会わなかった父親を、簡単に許せるか疑問だが、
この映画を、「雪山を見上げるような」作品にするには、
主人公が、「許す」という安らかな気持ちを持つ事が、
必要だったのかもしれない。
「又、会おうの。」
銭湯の常連で、火葬場勤めのおじさんが、つぶやくように、
私も、大切な人との「最期」を、「お別れ」だとは思いたくない。