ノーブル・ノーズの花の穴

麗しき本音のつぶや記
~月に1度ブログ~

ただ泣ける「おくりびと」

2009-02-22 15:15:25 | 映画


大悟の故郷は、あの人と同じだった。
その風景、方言に、彼の幼き日を思った。

モントリオールでも、日本アカデミーでも、賞を取った「おくりびと」は、
ロードショーが終わった後の、地元の小ホールを満員にした。

モックンの困った顔は、小島よしおに似ていた。
本人いわく、「自虐、自滅、自己嫌悪」の人だそうである。
作品は違っても、彼の役どころはいつも、
真剣でもユーモアがあるのが、今回も共通している。

広末の着ていた、リブ編みの白いセーターが可愛かった。

前髪を厚くした余貴美子の色気は、年相応に美しいと思った。
事務員の彼女が、
「自分が死んだら、この人に納棺してほしいと思ったから、ここに来た。」
という意味が、よくわかるほど、
山努は、いい感じに年を取り、安心できる納棺師そのものだった。

「死」ほど大きな共通の悲しみは無い

ひたすら、死んだ人を納棺する話である。

身内の葬式とか、納棺の経験のある無しに関わらず、
それが全くの他人事であっても、
その厳かな儀式の前で、何度も涙してしまう。

この映画から受ける印象は、
秋川雅史の「千の風になって」が、
多くの人に受け入れられた時と似ている。

納棺時のBGMも良く、
大悟が土手で、チェロを奏でる様子は、
宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思わせた。

現実的には、納棺師の仕事を蔑み、離れて行った妻や、
30年も会わなかった父親を、簡単に許せるか疑問だが、

この映画を、「雪山を見上げるような」作品にするには、
主人公が、「許す」という安らかな気持ちを持つ事が、
必要だったのかもしれない。

「又、会おうの。」

銭湯の常連で、火葬場勤めのおじさんが、つぶやくように、
私も、大切な人との「最期」を、「お別れ」だとは思いたくない。

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ベンジャミン・バトンは勝手

2009-02-22 14:47:23 | 映画


生まれた息子が、シワクチャで気持ち悪いからと言って、
老人ホームに捨てる。
若返ってゆく息子を探し出し、ボタン工場を継がせようとする。

デイジーが求める時は、去って行くくせに、結局戻って来る。
その時はもう、デイジーは彼を必要としない。
タイミングが悪い。

ベンジャミンの勝手さは、父親ゆずりか。
それに比べ、義母のクイニーにはホッとさせられる。

ベンジャミンを、ブラピが演じる必要があったのか、わからないが、
若くなっていく顔が可愛いかったから、彼で良かったのだろうか。

思ったより、ストーリーに抑揚も感動も無かったが、
ただ思ったのは、若けりゃいいってもんじゃないって事。
お爺さんは嫌だけど、ブラピが若くなるたびに興味が無くなった。

やはりパートナーとは、同じように年を取っていきたい。
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