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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神に追われる人。その9

2018年03月20日 00時02分06秒 | 神道
そろそろ終わらなければ。続けます。

沖縄ではユタの他に「ノロ」に呼ばれる女性たちも存在します。

ノロは神がかりしやすい家系の娘と言いましょうか、ノロが代々出ている家系の容姿端麗の女性が選ばれる様です。

結婚は同じ村の男とは厳禁。遠方からの商人や放浪の旅人等がノロの夫として認められた。

現在は違いますが近年までは母権家族で夫の姓は名乗らず、夫は遺骨も同じ甕(墓?? 骨壷??)には入れてもらえない小間使い的立場だったそうです。

この風習は山城の桂女、常陸の鹿島神宮の長門守の家系から出る巫女の御物忌も同様の考え方です。

特に御物忌は年間殆どの日々を神殿で過ごし、長門守の家系の者意外とは会わない。

しかも神殿での御物忌の使用人も幼女と老婆に限定されます。御物忌に男の関心を覚えさせない為に、女を感じさせない年代の女性しか近づけない。それほど徹底的に男を遠ざけます。

また宮古島の神役の長である「フザカサ」においては三年間の神役の期間だけでなく、一生島から出る事が禁じられていました。

奄美大島の巫女は「思松金」なる神を信仰していますが、この思松金は太陽の光を浴びて太陽の子を産む女神です。これは巫女のあるべき姿が神格化したと思えます。

聖婚の考え方から神は人間の女性から産まれたとしても元々から神。人間は神にはなれない。神には人間の父親などいない。だから人間の男との関係は排除しなければならないとの考え方が根底にあると思います。

そこから「神に追われる人」は男を追ってはいけない。一生を神に捧げなければならない。家庭を持ってはならない。持つなら隠れても持て。そんな感じなんでしょうね。

さて、先にユタ等の「神に追われる人」の神は水神であるとの考えを述べました。実際はどうなのか。

沖縄の伊平屋島には「クマヤガマ」と呼ばれる洞窟が有ります。ここが天岩戸との説があるそうです。そう考えると天照大神への信仰が源流に有りそうです。

そう言えば青森の木村藤子さんの神も天照大神と聞いた事があります。

恐山のイタコの場合はオシラサマ、オシンメサマ、そして地蔵菩薩です。

ここから考えるとご存知、天照大神荒魂である瀬織津姫の名前が浮かんで来ます。

更に沖縄から海を照らして背黒海蛇が出雲にやってくる。出雲信仰の根源は沖縄にある。そして沖縄には猿田彦神の源流とされるサダル神が存在する。

そして宮古島の「歩き巫女」達の神は「頂の神」、「辻の神」。

この辻の神は仏教の観点からは「沖縄や九州、中国地方に伝わる辻(道の交差する場所)にいる妖怪・魔物」で、辻にある家に入り込み病等の不幸をもたらす魔物とされていますが、神道では久那戸大神の事であります。

神仏習合で考え方が混乱しますが、仏教では日本の神道の神は悪神としながらも、久那戸神の流れの神々は、地蔵菩薩として苦しみを救ってくれる仏として迎えています。

私は「神に追われる人」、「歩き巫女」達に宿る神は日本の地主神である久那戸大神系である。強いて言えばその眷属だと考えます。

眷属となるとお稲荷様の狐を思い浮かべますが、低い立場の眷属は動物的な思考をする。それが低いレベルの巫女に宿り禍を起こす。人に魔を撒き散らす。

よっぽどの精神力、神通力を持つ巫女でなければ高いレベルの眷属は宿らない。今のところ、そんな風に考えています。


えー、長々と書き込んで参りました。

今回の記事はですね、今の森友問題からイライラして書いちゃいました。

こんな事書いちゃうと問題かも知れませんが、安倍昭惠さんの神様好きから色んな問題が発生しているのではないかと思って。

何かね、彼女は神の巫女みたいに活躍したいと思っている。もしかしたら神の巫女だと思い込んでいる。その想いを悪用する人達が彼女に寄って、やりたい放題、悪行三昧。

神を語り人を騙す者たちが彼女を利用しまくっている。それがどれほど日本の弊害になっているか。もう腹が立って腹が立って書いちゃいました。

彼女に接触したいと考えているヒーラーも大勢いると思います。実際、彼女に接触して活動しているヒーラーもいます。

でも本当に能力がある人が彼女を利用する必要なんてないです。そこからして偽物のまやかしと言っている様なもんです。

そんな方達に人に神の巫女的な力が有るのか。やっていることは人を騙し禍を撒き散らしているだけではないのか。

大体、巫女とされる人たちがどれほどの修行や苦しみ、苦難を体験しているのか。どんな心情なのか。どれほどの犠牲を払っているのか。

それを体験して神(眷属)を宿して初めて霊能力、神通力を発揮できるのに、過去世とかリーディングとかいくらでも誤魔化せるどうでもいい事しか言わない。もういい加減にしろと言いたいのです。

若い頃、悩みに悩んでいだ私は、そんな人たちに翻弄されまくりました。

あの頃の恨み今でも覚えています。辛かったのにいい加減な事ばかり言われた。辛さが増しただけだった。まだそんな事をしている奴がいるのかと思って。

以上です。疲れました。これで終わります。


でも私、今ふと思ったのですが、この「諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流」と言うブログを書いている。

「神に追われる人」の神は鬼渡神である天照大神、瀬織津姫、猿田彦命、そして久那戸大神だと考えられる。

っと言う事は私は、「神に追われる人の神を追っている人」になるのではないか。

それって追って良いのかな。祟りがあるのではないのか。大丈夫なのか、私。

うーん、何が何だか本当に分からなくなってきた。


もしかしたら私も何れ「私は神だ」とか言い出すかも知れない。それって悪くて低い眷属を宿し死に向かう兆候だと思う。

そうならない為にも神に恐れおののき敬いながら、かしこみ、かしこみ書いて行きたいと思います。

或る意味、自分自身を疑いながら。


ではでは。




















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6 コメント

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神々の深き欲望 (かれく)
2018-03-21 00:03:39
1968年公開の日本映画「神々の深き欲望」(今村昌平監督)に出てくるノロは、閉鎖的な島の俗習により酷い仕打ちを受けます。暴風雨により神田に大岩が上がるという凶事が発生したことで、「実兄と通じたことで神の怒りをかったのだ」、という裁定が下り、ノロは島を牛耳る区長の妾にさせられます。実兄は大岩を神田から排除するために、穴を掘るよう命ぜられ何年も何年も鎖に繋がれるのです。こんな濃厚な導入部から始まる物語、10代後半に名画座で観ましたが、あまりにもドロドロとした人々の業の深さに船酔いのような胸苦しさを感じました。ただ人心の中にある根源的な生への畏怖や愛しさが描かれていて、とても惹き付けられました。綱永井さんの今回の9回に渡るテーマ「神に追われる人」を読んでこの映画のことを思い出しました。どんなに文明が発達し分業化が進み暮らしが豊かになっても、医学が発達して寿命が伸びようとも、紀元前から人間は、人と人との関係の難しさに悩み苦しみ痛み、癒やしを求めてきた。特に狩猟時代から農耕時代に移行する過程で、色々な危機が増大し、神なるものを欲するようになった。あの映画で描かれた神々もまたしかり。
返信する
ありがとうございます。 (りひと)
2018-03-21 09:39:59
家系的に自己犠牲を強いられるかどうかでも客観的に判断しやすいですね。つまり自分の意思で動けるわけではないんでしょうね。お自分が充実している暇も許されない状態でお役目をされているはずですからすぐに分かるはず。見えない所ででしょうし。代理は出来ないはずです。

すると自分の意思で動いてる方は神ではないはずですね。パワースポット回って充実しちゃっている暇もないはず。私も眷属憑いてそうですよ、反省反省。今動かされてますけど意思が動機なのでただの道具として何かが動かせてるのでしょうね。どういう利害があるのか考える事も大事ですね。

現実を知る方は自分ではそう言う事はする暇もない、実際にそれを知っている方が知識として情報を出してくれるだけでそれを知り考えに幅が出ていき、そして五感での感覚も鋭くなるはず。

そういうお役目の方もとても大事に思いますし、それも全て経験からきている以上代理も出来ないはずです。

綱永井さん、ご苦労さまです。また立ち止まりいつの日か感謝を実感出来る日がくると思います。
人からの言葉でなく自分の頭で考えて動く事こそ大事、そう出来る凡人であり生きている事にも感謝します。5326
返信する
国津神。 (綱永井寵生)
2018-04-09 13:56:28
かれくさんへ

私の母の実家はいわき市の山の中。つまり民です。閉鎖的な社会に生きていると何事も純粋になります。先ず、人に騙されやすい。純朴で心が優しい面がある反面、純粋な悪にもなる。その点が大変怖いです。

実は昭和の時代まで、会津や岩手の山の中で近親同士で、長年生活している方たちがいました。平家の落ち武者の血筋で迫害を避けて生きてきたみたいです。

近親婚は国津罪です。国津神は近親婚で人の罪を背負います。天皇家も近親婚だったのも人の罪を背負う生き神であることの証明です。

「神々の深き欲望」と言う映画は知りませんでしたが、見たい気持ちと見るべきではないとの気持ちが交錯して複雑に感じますね。でも古神道の考えがある様な気もします。モデルはイザナミ命かも知れません。
精神的に安定したら襟を正して見てみたいと思います。有り難うございます。

また、返信が遅れてすいませんでした。
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狛犬。 (綱永井寵生)
2018-04-09 14:12:52
りひとさんへ。

ヒーラーの方で神を宿している。自分は神だと言う人がいます。だったら神社の狛犬の存在は何なのかと聞きたいです。

狛犬は人でもなく神でもない。神の眷属。神の命でお札やお守り、お神籤に宿り、人を直接守り導く存在だと私は考えます。

ユタ達を追う神も本当は眷属なのだと思います。意思を持つ高い眷属の様に想えます。しかし動物的な感情と言うか、純粋過ぎてナアナアが効かない存在とも思えます。だからこそ怖いです。

以前、瀬織津姫の神社の旅行記を出しているY氏と地元のヒーラーを連れて佐比売の神社に参拝し、大変怖い目に遭いましたが、その神社の眷属の怒りを買ったのだと思いました。

眷属には良い存在と悪い存在がある様です。触らぬ神に祟りなし。神の如く奢り高ぶる人は悪い物が憑いている様に思えます。避けるべきだと思います。
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とても勉強になりました (やくも)
2019-01-19 22:07:18
触らぬ神に祟りなしですかね 追われてない自由があって幸せです
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神に脅されている。 (綱永井寵生)
2019-01-20 11:29:04
やくもさんへ

コメント、ありがとうございます。

この記事は神を語り神に成りきっている人、その者を信じ切っている人に向けて書きました。

本当の霊能者は神に脅されて嫌々続けている。不自由な人生を生きている。金儲けではなく、自分を犠牲にして人助けをさせられている。それを分かって欲しいと思いました。

普通が一番だと私も思いますね。
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