諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

塩竃の志波彦神が阿須波神であるとする理由。その3

2024年09月07日 14時32分15秒 | 神道
続きます。

鹿島神宮、香取神宮にはそれぞれ、要石なるものが存在しています。地震を引き起こす存在を、この要石で抑え込んでいるとされています。

因みに地震を起こすとしては鯰が有名ですが、この鯰を信仰する人々がいます。主に大工達です。

自身が起きる。合わせて津波も起きる。

「風が吹けば桶屋が儲かる」と言われますが、地震で家が崩壊したり、津波で家が流されたら大工が儲かる。だから鯰が御大臣みたいな恰好をして千両箱を肩で担ぎ、人々に小判を撒いている絵??が存在しています。大工達はその鯰を福の神として信仰しているのです。

鹿島には「鹿島立(かしまたつ)」と言う言葉が有ります。「旅立つ、門出」と言う意味です。っと言う事は「鹿島から旅立つ」事を表している。そして旅立ったその存在は「阿須波神」であるとの伝承が残っています。

香取、鹿島周辺と言える千葉県市原市には、阿須波神社が鎮座しています。祭神は当然、阿須波神。

「庭中の 阿須波の神に 小柴刺し 我は斎はむ 帰り来までに」と言う万葉集の防人の歌が残されていますが、現在の阿須波神社は以前、その歌を歌った者の屋敷で、愛する者が良き差に旅立つ。その無事を阿須波神に祈願している歌です。

その旅立った者とは朝廷に服従した蝦夷でしょう。そしてどこに旅立ったのか。

縄文時代、古墳や発掘物等々、考古学的に人口が集中していた場所は千葉県と茨城県の海側だと言いましたが、二番目に集中して住んでいた地域は宮城県の仙台市、多賀城市、塩竃市周辺とされています。三番目は青森県弘前市周辺となります。

この三か所には当然、蝦夷達が住んでいました。そして蝦夷達はその地を行き来していた。

桓武天皇の時代、朝廷は蝦夷の地の金や略奪を主なる目的に討伐を繰り返していたが、蝦夷の強い抵抗を受けいた。

そして中国系の武将、坂上田村麻呂が征夷大将軍に就任。田村麻呂は朝廷に服従した千葉県・茨城県の蝦夷を兵士として用いた。彼らは熟蝦夷と呼ばれた。

そして朝廷側に最後まで抵抗したアテルイ・モレらの蝦夷は荒蝦夷とされています。


続く。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 塩竃の志波彦神が阿須波神で... | トップ | 塩竃の志波彦神が阿須波神だ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神道」カテゴリの最新記事