ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

カフェ・シェ・ダイゴ

2009-10-12 21:25:00 | すてきなお店
Yちゃんが席を確保して待っていてくださった吉祥寺の素敵なお店
「カフェ・シェ・ダイゴ」

連日、美味しいものばかり食べていて、罰があたらないかと心配ですが
(・ω・;A ←気が小さい
ガレット(ハムとチーズ)¥800とビール¥600を頼みました。

手前の四角いのがガレット(そば粉のクレープ)です。
スパゲッティナポリタンは向かいのF島さんの召し上がったもので、
私が2人前食べたのではありません(・ω・;A
今年春、先生の早稲田の最終講義で学食のランチを撮っていたとき、
その写真にカツカレーで参加なさったのを思い出されたらしいのです。
オムライス(110周年記念号校正の日のランチ)→カツカレー
→スパゲッティナポリタンは、なにやら二丁目の匂いです。


このガレット、最高!
溶けたチーズが内側にサンドされていて、ガレットのぱりぱり、
チーズのしっとりがなんともいえずいい食感。
お味も、チーズとハムとそば粉のクレープが絶妙なハーモニー。
見た目よりボリュームがあって、お腹いっぱいになりました。

ああ、おいしかった!

* * * * *

行きには中道通り、帰りには大正通りを通ったのですが、
途中でシャボン玉を吹く熊ちゃん発見♪

おしゃべりしながらの移動中、置いていかれると迷子になる状態だったので
写真が撮れなかったのですが、調べてみると有名な熊ちゃんらしいのです。
「NIKITIKI(ニキティキ)」という玩具店の看板熊。
グータイム ニキティキ吉祥寺店 紹介記事

以前、中町通りのビーズ屋さんで働いていた同僚の話によれば、
「10年前にはもうあった」らしいので、少なくとも10年間、
来る日も来る日もしゃぼん玉を吹き続けている熊ちゃんなのです。
ひょっとすると何代目かかもしれない。

突然目の前をしやぼん玉が飛んだときはたいそう嬉しかったけれど、
ずっと吹き続けている熊ちゃんの日常を思うと胸が痛みました。 
(-ω-)←ぬいぐるみは生きものだと思っている

中道通り、昭和通り、大正通り、
かわいいお店が1㎞にわたって続いているらしい♪
もう一度、ゆっくり探検してみたいものです。



10月東京歌会吟行会@お台場、歌集『二丁目通信』を読む会@吉祥寺

2009-10-12 00:41:55 | 短歌
10.10

東京歌会はお台場の「未来館」で吟行会。
ゆりかもめ「船の科学館」駅下車、
宮崎での遅刻の教訓から、早めに行ったつもりだが、
途中でRちゃんと出会う。

「未来館」入り口でお世話役のSさんとF島さんが待ってくださっている。
「未来館」はどこも金属の輝きと電子音に充たされていて、
私はどこへいけばいいのか、途方に暮れる。
仕方なく、Rちゃんおすすめのプラネタリウムの
立体視作品「BIRTHDAY」を観ることにする。

3Dの眼鏡をかけて椅子を倒してドーム天井を観る。
印象に残ったのが、火星の青い夕焼け。
まるで本当に火星の赤い岩石に座って、空を見上げている気持ちになった。
40年も前に読んだSFの火星調査の赤毛の少年を思い出した。
バン・アレン帯、太陽の磁気嵐、だの、極地の氷、
2つの月のフォボスとダイモスなどという言葉が浮かんできた。

あとはロボットの展示があったらしいが、私は全く観ず、歌会会場へ移動。
皆さんの歌のロボットの歌を読むと、子どもの頃読んだ手塚治虫の漫画の、
ロボットのロビタが、本当に動いているのだなあと、不思議な感じだった。
(´・ω・`) ←新しい事態に全くついていけていません、
馴染むのに時間がかかるの

デラックスなお弁当を食べて、歌会。
39首、楽しかったが、朝早かったので長時間の歌会にぐったりする。

二次会は新橋のLION。
お料理も美味しく、落ち着いたお部屋で、ひたすら歌の話を。

Rちゃんの指令で作ったお、だ、い、ば(各文字を先頭にもってくる)4首
+歌会の1首が収穫。


10.11

連荘であるが、Yちゃんの御誘いを受けて勉強会に参加させていただく。
今月はF島H憲さんの歌集『二丁目通信』の読書会、
メンバーに加えていただいた。
秋晴れの歩くだけで気持ちのよい日で、
午後1時からに間に合うように、Sさんのご案内で歩く。
住宅地に入り、金木犀のよい匂い。
平屋のこじんまりした和風の公民館。

10首選と簡単なコメントを順番に述べる。
初めてお会いする方はいらっしゃらないが、
初めての場に緊張していて、
10首選だけでいいのかとぼんやりと考えていたので、
何かしゃべらなくてはいけないと聞いてあわてる。
吟行の直前に苦手の10首選をうんうん苦しみながらやっただけで、
考えがまだ定まっていない。

重なる歌もあり、重ならないのもあり、
○をつけたのだけれど絞るうちに落としたのを
やはり入れればよかったかと思ったり、
皆さんの選を読み、評を聞くのがとても楽しかった。

3人以上の選の重なった歌

・花の名をじゅうにひとえと知りてより咲けば近づく十二単に
・一生涯われらは遺族8月の太陽の下白菊を持ち
・アララギの写真 茂吉と文明の間の人は「ひとりとばして」
・ふりそうと言って別れてそれっきり 死は六画ぞ生は五画ぞ

介護の歌は迷った末にはずしたのだが、
「客観視できぬ近さに父がいて入れ歯外して舐めはじめたり」は
いわゆる「介護の歌」を超えて、「人が生きるとは
どういうことなのか」を私たちの目の前に提示しているのだと思う。

「一生涯われらは遺族」という認識、
確かにわたしたちは生まれたときから遺族なのだ。
肉親を失うという直接の苦しみをもたらす死もあれば、
遠い世界の関わりのない死もあるのだが、
累累とした屍の上に私たちは生きている。
「入れ歯を外して舐める」生を。

効率や向上といった価値観に測られてわたしたちは日常を生きているのだが、「生」というのは、その価値観からはみ出すものに違いない。
ことに介護を必要とする「生」は。
そのはみ出した「生」を引き受けるということは、
また自分の生の混沌を引き受けることだ。
肉親がこわれていくのを、もっとも見たくないものを、
目を見開いて見なければならない。
一人残った母を看ることに、私は耐えられるだろうか。


前日の未来館のプラネタリウムで、闇の中に青い光の素粒子が動いていて、
それがぶつかりあって大きくなって宇宙が形成されていく映像を見たのだが、
涙が出た。
どうしてなのかわからないが、揺り動かされた。

『二丁目通信』を読んだときに泣いたのも、多分、
二丁目のF島さんへの同情ではないと思う。
どういうものかはっきりと説明することはできないが、
いのちの輝きといったものに、揺り動かされたのではないかと思う。