ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

バッタ、坊ちゃんかぼちゃ、メガネ

2011-09-20 12:32:02 | 日常
今日は涼しいですね。
台風が速く過ぎてくれるといいのですけれど。
同僚のご実家が熊野で、水害に合われているのです。
心配です。


リビングのカーテンに精霊飛蝗(しょうりょうばった)が。
いったいどこからやってきたのでしょう。
まだ小さいので生まれたてだと思います。

バッタを養う草原はもうここいらにはありませんのに。
(家の裏庭はただいま雑草が繁茂していますが)


無人販売で買った坊ちゃんカボチャと
二子玉川高島屋で購入のメガネです。

坊ちゃんカボチャは糠漬けにする予定。
この小ぶりのカボチャはパリパリとおいしく漬かります。

メガネ、かわいいでしょう❤
通りすがりに一目で気に入りました。
似合うとほめていただいて、嬉しいです。
うふうふメガネ生活初体験です!

鉄道、鉄道馬車、人車

2011-09-20 12:13:55 | 短歌
明治期の実業家の日記を読んでいて、
おもしろいのは鉄道、鉄道馬車、人車(人力車のこと?)が
出てくることです。

明治5年に始まった鉄道敷設は
2、30年の短期間で全国におよび、
日清・日露戦争でも大活躍をします。

その結果、1906年(明39)、
それまで半官半民、民営であった
鉄道も全て国有となったようです。

当時短歌に鉄道、鉄道馬車、人車は
詠まれていたのでしょうか。

明治15年に始まった鉄道馬車は
電化が急がれたため寿命が短く、
確かめてはいませんが、歌にないのではないかと思います。

鉄道では、子規の歌集「竹の里歌」(明37)に
こんな歌を発見しました。

・汽車の音の走り過ぎたる垣の外の萌ゆる梢に煙うづまく

この歌は明治33年に詠まれています。
当時、根岸にあった子規の家は(明治27年移り住む)
日本鉄道からおよそ100メートルのところにあったそうです。

鉄道には詳しくないのですが、
上野を出発して北へ向かう汽車は、
鶯谷まで線路が上り勾配の曲線であったため、
ことさら子規庵付近で轟音を立てていたらしいのです。

子規はすでに明治22年に東海道線に乗っていて、
漢詩を作っています。

明治33年には子規は歩行不能となっていて、
虚子が入れてくれた当時珍しいガラス窓の歌も作っています。
歌の題材も身辺からとられ、子規庵の近くに鉄道があったため、
今日の私たちは鉄道の歌を読むことができました。

さて、実業家の明治37年の日記では、
上野から前橋まで鉄道、宿泊して、
前橋から渋川まで鉄道馬車、
渋川から伊香保まで人車を使っています。
前橋から伊香保まで、4時間半かかっています。

すでに鉄道は上野→大宮→仙台→青森まで開通していました。
群馬方面は生糸の産地であったため、
明治16年には上野→熊谷が開通していたそうです。

百科事典並みの分厚い日記なので、
読むのに時間がかかりますが(・ω・;A
交通機関を見ていくだけでも面白いです。