おはようございます。
ホテイアオイが3つも咲きました。
しあわせです。
前日の夕方、ひゅうっと花茎が伸びて
紫のとがった蕾をつけます。
そして、咲いた花は1日の命です。
毎日、いくつ咲いたのか、
数えるのが楽しみです。
朝は果物と寒天をたっぷり食べます。
生があれば生、缶詰を使うこともあります。
これが愛しの鹿肉。
先生のお宅でご長男が焼いてくださったのが、
淡泊でやわらかく、抜群のおいしさ!
「生きてきてよかった」などと褒めていたら、
「ブログに書きなさい」と先輩に
レタスやら生姜の浅漬けやらを
乗せていただいたので、
撮りました。
奥様や先生のお料理は
素材から吟味してあり、
上品な味つけで、
「料理も人なり」だなあと
感じ入るのです。
しかし、いつも食べるのに夢中になり、
なかなか撮る方まで気が回りません。
酔っ払っているし。
結社の方に私からお話したことはないのですが、
短歌のことを書いているので
検索でたどりつかれる方が多く、
「ノイバラ山荘」は
皆さんに知られつつあります。
責任重大なのです。
もうめそめそしたことは書けないですね。
さて、今日は短歌の勉強会の詠草集作りに
当てた一日です。
どんな些細なことでも、
続けるのは大変です。
ましてや、家庭のかじ取りをしながら、
家族の病や死を乗り越えながら
貴重な勉強の場を
間違いなく運営することの難しさ。
月一回の勉強会を300回を超えて
レベルを保ちながら維持してこられた先輩を
ノイバラはとても尊敬しています。
ですから、詠草集作りでご恩返しができることが
とてもうれしいのです。
大変でないかといえば、
家族や仕事のことで
起き上がれないくらい疲れることもあり、
そのような時はつらいと感じることもあります。
ボランティアなのになあと
思うこともあります。
そういう時には様々の困難を
乗り越えてこられた先輩を思い、
こんなことでへこたれては
いけないと思いなおします。
また、同僚のお茶の先生がお茶会のあと
短歌を詠んで参加者に配られるという
お話を聞き、うれしく思いました。
その歌を暗唱してくださったのですが、
配慮の行きとどいたお歌でした。
日常を短歌とともに人とともに
生きることの素晴らしさ。
大上段に「短歌とは」と
切り込んでいくことも大切ですか、
私にはこのような生き方が
好ましく思えます。
どちらの行き方が上か、
ということではなく、
水が地にしみ込んでいくような
その行き方が私には合っている気がします。
女性らしい、といっては今の世の中、
差別といわれそうですが、
岩に当たり進路を変えられ、
岩にそいつつ走りながら、
水には水の喜びがあります。
水の喜びを生きたいと
私は思いました。
ホテイアオイが3つも咲きました。
しあわせです。
前日の夕方、ひゅうっと花茎が伸びて
紫のとがった蕾をつけます。
そして、咲いた花は1日の命です。
毎日、いくつ咲いたのか、
数えるのが楽しみです。
朝は果物と寒天をたっぷり食べます。
生があれば生、缶詰を使うこともあります。
これが愛しの鹿肉。
先生のお宅でご長男が焼いてくださったのが、
淡泊でやわらかく、抜群のおいしさ!
「生きてきてよかった」などと褒めていたら、
「ブログに書きなさい」と先輩に
レタスやら生姜の浅漬けやらを
乗せていただいたので、
撮りました。
奥様や先生のお料理は
素材から吟味してあり、
上品な味つけで、
「料理も人なり」だなあと
感じ入るのです。
しかし、いつも食べるのに夢中になり、
なかなか撮る方まで気が回りません。
酔っ払っているし。
結社の方に私からお話したことはないのですが、
短歌のことを書いているので
検索でたどりつかれる方が多く、
「ノイバラ山荘」は
皆さんに知られつつあります。
責任重大なのです。
もうめそめそしたことは書けないですね。
さて、今日は短歌の勉強会の詠草集作りに
当てた一日です。
どんな些細なことでも、
続けるのは大変です。
ましてや、家庭のかじ取りをしながら、
家族の病や死を乗り越えながら
貴重な勉強の場を
間違いなく運営することの難しさ。
月一回の勉強会を300回を超えて
レベルを保ちながら維持してこられた先輩を
ノイバラはとても尊敬しています。
ですから、詠草集作りでご恩返しができることが
とてもうれしいのです。
大変でないかといえば、
家族や仕事のことで
起き上がれないくらい疲れることもあり、
そのような時はつらいと感じることもあります。
ボランティアなのになあと
思うこともあります。
そういう時には様々の困難を
乗り越えてこられた先輩を思い、
こんなことでへこたれては
いけないと思いなおします。
また、同僚のお茶の先生がお茶会のあと
短歌を詠んで参加者に配られるという
お話を聞き、うれしく思いました。
その歌を暗唱してくださったのですが、
配慮の行きとどいたお歌でした。
日常を短歌とともに人とともに
生きることの素晴らしさ。
大上段に「短歌とは」と
切り込んでいくことも大切ですか、
私にはこのような生き方が
好ましく思えます。
どちらの行き方が上か、
ということではなく、
水が地にしみ込んでいくような
その行き方が私には合っている気がします。
女性らしい、といっては今の世の中、
差別といわれそうですが、
岩に当たり進路を変えられ、
岩にそいつつ走りながら、
水には水の喜びがあります。
水の喜びを生きたいと
私は思いました。
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