こんばんは(*^_^*)
はやくも梅雨入りですね。
ブラジルの音楽、ボサノバの誕生の歴史を知り、
生みの親であるジョアン・ジルベルトに敬意を表して
今日はこの曲聴いていましたにゃ❤
「イパネマの娘」 ジョアン・ジルベルト
イパネマはリオデジャネイロ市内の
海岸なのですね。
ジルベルトがリオにやってきた1950年代は
アメリカの援助で繁栄していたそうです。
作詞モライス作曲ジョビンのこの曲、
歌詞ができなかった時に
たまたまカフェの窓の外を
通りかかった女性を
そのまま歌詞にしてしまったそうです。
ほどなくアメリカ進出のチャンスが訪れた時、
ジルベルトとジョビンのコンビに
方向性の違いが際立ってきます。
完璧主義の職人タイプであるジルベルトの
「ポルトガル語で」というこだわり。
ジョビンの「アメリカで成功したい」という野心。
レコーディングが行なわれた時に、
ジルベルトは 共演のジャズプレーヤー、
ゲッツの演奏が気に入らず、
何度も録音は中断されたのだそうです。
さらに英語で歌うことには反対でした。
妻は歌手志望だったので、
自分に歌わせてくれと頼み込んだのだそうです。
それでジルベルトも仕方なく
認めたらしいのですが、
妻は英語でもOKでしたから、
売りたいアメリカのプロデューサーにしてみれば
彼女の方が使いやすかったのでしょう。
アメリカで売るには英語必須。
だからシングルカットされた時には
ジルベルトははずされてしまったのですね。
ブラジル人のボサノバの魂と
曲のヒットを狙う商業主義は
違う性質のものなのでした。
英語でもヒットしてしまったこの曲、
背景を知るとなんだか切ないです。
ジョビンはもうなくなりましたが、
ジルベルトは2000年代に3度来日しています。
82歳の現在も演奏を続けているのでしょうか。
はやくも梅雨入りですね。
ブラジルの音楽、ボサノバの誕生の歴史を知り、
生みの親であるジョアン・ジルベルトに敬意を表して
今日はこの曲聴いていましたにゃ❤
「イパネマの娘」 ジョアン・ジルベルト
イパネマはリオデジャネイロ市内の
海岸なのですね。
ジルベルトがリオにやってきた1950年代は
アメリカの援助で繁栄していたそうです。
作詞モライス作曲ジョビンのこの曲、
歌詞ができなかった時に
たまたまカフェの窓の外を
通りかかった女性を
そのまま歌詞にしてしまったそうです。
ほどなくアメリカ進出のチャンスが訪れた時、
ジルベルトとジョビンのコンビに
方向性の違いが際立ってきます。
完璧主義の職人タイプであるジルベルトの
「ポルトガル語で」というこだわり。
ジョビンの「アメリカで成功したい」という野心。
レコーディングが行なわれた時に、
ジルベルトは 共演のジャズプレーヤー、
ゲッツの演奏が気に入らず、
何度も録音は中断されたのだそうです。
さらに英語で歌うことには反対でした。
妻は歌手志望だったので、
自分に歌わせてくれと頼み込んだのだそうです。
それでジルベルトも仕方なく
認めたらしいのですが、
妻は英語でもOKでしたから、
売りたいアメリカのプロデューサーにしてみれば
彼女の方が使いやすかったのでしょう。
アメリカで売るには英語必須。
だからシングルカットされた時には
ジルベルトははずされてしまったのですね。
ブラジル人のボサノバの魂と
曲のヒットを狙う商業主義は
違う性質のものなのでした。
英語でもヒットしてしまったこの曲、
背景を知るとなんだか切ないです。
ジョビンはもうなくなりましたが、
ジルベルトは2000年代に3度来日しています。
82歳の現在も演奏を続けているのでしょうか。
ステキな夢ですね。
きっとかないますよ!
明るい色のメガネも新調なさって、
レース編みにも
挑戦なさっているのですね。
疲れない程度に
がんばってくださいね。