トルコ料理レストランイスタンブール
。
先日、赤坂店でランチをいただきました。
2階から入って階段を上るのですが、すでにトルコの雰囲気です。
ランチは選べます。
ケバブと肉団子、いずれもおいしかったです。
食後のチャイ。
このお店の壁に背広の男性の写真が飾ってあったので、
トルコ人の年配の女性の従業員さんに聞いてみたところ、
「この有名な人を知らないのか!!」とびっくりされ、
名前をおっしゃるのですが、聞き取れず、
見せられたスマホの画面でようやく納得しました。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(1881~1938)です。
彼は1923年~1938年トルコの大統領。
トルコの近代化を推し進めました。
彼は誕生時にムスタファ(選ばれしもの)と
名付けられました。
当時トルコでは姓がなく、名の後に
出身地や父の名前やあだ名を加えることで
個人の識別をしていたそうで、
ケマル(完全な)は後から付けられた名。
さらに1934年創姓法が施行され、
西欧諸国にならって国民全員が
姓を持つよう義務付けられました。
アタテュルクは、「父なるトルコ人」の意味。
ムスタファ・ケマルに対して
大国民議会から贈られた姓です。
名前一つに民族の歴史が詰まっているのでした。
この時代のトルコ、イスタンブールと聞いてぴんときたのは、
6月に訪れた熱海の旧日向別邸の
内装に関わった建築家ブルーノ・タウト。
ユダヤ人であった彼は
日本インターナショナル建築会の招聘で日本に来たものの、
当時の日独関係から公職を得られず、
3年半の滞在ののち、1936年トルコに渡ります。
近代化を目指していたトルコの
イスタンブール芸術アカデミーの招請で
教授としてイスタンブールに移住。
首都アンカラのアンカラ大学文学部など教育機関建築の設計、
イスタンブール郊外の自宅など、
日本で温めていた理論を実践すべく
精力的に建築設計で活躍しました。
そのほとんどは現存しているそうです。
1938年に長年患っていた気管支喘息のため亡くなりました。
最後の仕事は彼自身の死の直前に死去した
大統領ケマル・アタテュルクの祭壇でした。
タウトの遺体はエディルネ門墓地に葬られました。
何と、タウトとアタテュルクはつながっていたのですね。
思わぬタイムトリップを楽しむことができました。
この日はさらにスペインにまで行ったのでした。
永田町「MADUREZ」(マデゥレス)。
成熟という意味の店名。
落ち着いて食事を楽しめました。
イカ墨のパエリア。
イカ墨大好きのノイバラです。
お口が真っ黒になっても
もう気にならないお年頃です。
イカ墨はいろいろ体にいいらしい。
イカ墨の中に含まれている、
ムコ多糖類という糖質の一種が健康によいといわれています。
イカ墨は血液によく、痛みを和らげる効果があります。
ムコ多糖類は、濃いゼラチン性の物質で
関節や眼球、動脈に多く含まれています。
関節の潤滑油の働きをし、骨と骨をしっかりくっつき合わせ、
関節の状態をよくし、血管(動脈)をしなやかに保つためには
不足させてはならない物質です。
ムコ多糖類が不足すると
関節がこわばったり、動きが悪くなる
動脈が硬化して老化がすすむ
腰椎椎間板ヘルニヤや変形性膝関節症に
なりやすくなるのだそうてす。
おまけに癌にも効くらしいのです。
知らなかった。
これからもお口真っ黒にして食べよう。
六本木アマンド。
数10年前、待ち合わせのメッカでしたが、
最近では店頭で待っている人はいません。
私たちが携帯電話を持ち歩くようになり、
六本木ヒルズができてからは待ち合わせは
違う場所になってしまったのでしょう。
2階席からの眺めです。
ランチをいただきました。
パスタ、グラタンいずれもおいしく。
食後の紅茶。
洋菓子屋さんなので、おいしそうなケーキがいっぱいでしたが、
ランチでお腹いっぱいです。
ヒルズ内の滝にしばし見とれました。
ヒルズは巨大な建物内をたくさん歩かされるので
疲れてしまってあまり好きではありませんが、
滝の前ほっとしました。
あら。
虹です。
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