穏やかな津軽海峡。イカ漁が最盛期。
下北半島の海岸線に沿って、北端の大間町に向かいます。
拡大すると… 風間浦村甲かぶと
大間町の手前。 風間浦村にある甲かぶとという集落。
貝やウニ、昆布漁が中心の小さな漁村です。
ここに、戦争遺跡があると聞いて伺いました。
太平洋戦争末期、米軍の日本上陸を想定して、
軍は、日本各地に特攻(=特別攻撃)基地を作ったのです。
特攻といえば、爆薬を積んで飛行機ごと敵艦に突っ込む
”神風特攻隊”が知られています。
特攻艇”震洋”
海軍の特攻兵器で有名なのは、人間魚雷の”回天”。
しかし、多く作られたのは、
前部に爆薬250kgを積んだ、ボート型の”震洋”です。
ベニヤでできていました。
その発進基地で、舟艇を隠すための穴が掘られました。
(現在は、かなり埋められています。)
地元の古老にお聞きすると、「全部で4つ掘った」といいます。
発進させるところは平らになっていて、
かつては、レールが敷いてありました。
見るからに人の手で作った感じです。
特攻潜水艇”蛟竜こうりゅう”
ところがその後、当時の軍の配備図が発見され、
そこに付けられた記号から、
ここは、特攻潜水艇「蛟竜(こうりゅう)」の基地だと推定されました。
5人乗りで、魚雷発射後戻れますが、実質は特攻兵器でした。
この日は、たまたま干潮で、4ヶ所すべて見ることができました。
新聞報道も、向かいの堤防からの望遠写真だけ。
こうした真近かな写真は、初めての公開かもしれません。
干潮で、海の岩盤が見えています。
この1枚岩を「ダイナマイトで爆破して、その後は手作業だった。」
と古老(80歳)は話します。
当時は、10歳だったけど、発破は爆音で印象に焼き付いていました。
しかし、旧海軍の配備図の記号を検討したところ、
最近になって、その記号は”魚雷射堡しゃほ”だと判明。
これは、レールを滑らせ、
魚雷を相手艦目掛けてタイミングよく発射する設備です。
戦争末期、すでに旧海軍に魚雷発射の装備はなく
こんな原始的な方法で、敵を狙っていたのです。
対岸に見えるのは、北海道の恵山えさん 617m
ラジコンのように、方向も変えられない魚雷は、
命中するほうが不思議です。
いま考えれば、愚かの何物でもありませんが、
戦争当時は、冷静な判断力も吹っ飛んでいたのです。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」は、
元ドイツ大統領のワイツゼッカーの言葉ですが、
いまの時勢から、活きた言葉に感じるのです。
資料:デーリー東北 特集
[ 盲目 について ] 元大統領の言葉は、1985年5月、第2次世界大戦終了40周年の議会演説で述べられました。
当時は、”見えないこと”を”盲目”と表現しました。それは、コミュニケーションの手段が点字しかなかったからです。現代では携帯やパソコンが画面を読み取って音声化したり、メールのやり取りができたりします。”視覚障害”=”情報が何も取れない”といった状況は、かなり改善されていて、元大統領が発した”盲目”という表現は、近年訳が変わるかもしれません。
(未公開画像)
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