


下北半島の海岸線に沿って、北端の大間町に向かいます。






貝やウニ、昆布漁が中心の小さな漁村です。



太平洋戦争末期、米軍の日本上陸を想定して、
軍は、日本各地に特攻(=特別攻撃)基地を作ったのです。
特攻といえば、爆薬を積んで飛行機ごと敵艦に突っ込む
”神風特攻隊”が知られています。



しかし、多く作られたのは、
前部に爆薬250kgを積んだ、ボート型の”震洋”です。
ベニヤでできていました。



(現在は、かなり埋められています。)
地元の古老にお聞きすると、「全部で4つ掘った」といいます。



かつては、レールが敷いてありました。
見るからに人の手で作った感じです。



そこに付けられた記号から、
ここは、特攻潜水艇「蛟竜(こうりゅう)」の基地だと推定されました。
5人乗りで、魚雷発射後戻れますが、実質は特攻兵器でした。



新聞報道も、向かいの堤防からの望遠写真だけ。
こうした真近かな写真は、初めての公開かもしれません。




と古老(80歳)は話します。
当時は、10歳だったけど、発破は爆音で印象に焼き付いていました。




最近になって、その記号は”魚雷射堡しゃほ”だと判明。
これは、レールを滑らせ、
魚雷を相手艦目掛けてタイミングよく発射する設備です。




こんな原始的な方法で、敵を狙っていたのです。




ラジコンのように、方向も変えられない魚雷は、
命中するほうが不思議です。
いま考えれば、愚かの何物でもありませんが、
戦争当時は、冷静な判断力も吹っ飛んでいたのです。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」は、
元ドイツ大統領のワイツゼッカーの言葉ですが、
いまの時勢から、活きた言葉に感じるのです。


[ 盲目 について ] 元大統領の言葉は、1985年5月、第2次世界大戦終了40周年の議会演説で述べられました。
当時は、”見えないこと”を”盲目”と表現しました。それは、コミュニケーションの手段が点字しかなかったからです。現代では携帯やパソコンが画面を読み取って音声化したり、メールのやり取りができたりします。”視覚障害”=”情報が何も取れない”といった状況は、かなり改善されていて、元大統領が発した”盲目”という表現は、近年訳が変わるかもしれません。



(未公開画像)




とっても冷静…

※ 画像をクリックすると、大きくなります。
(未公開画像)






公園は、農薬を使わないので、犬猫には安心
※ 画像をクリックすると、大きくなります。
(未公開画像)




100均で、おひとり用のすのこを買いました。 スースー快適…
※ 画像をクリックすると、大きくなります。
(未公開画像)





寝ている猫は、平和のシンボルです。

左に、抜けたおヒゲが…

※ 画像をクリックすると、大きくなります。





生食カボチャ”コリンキー”は、煮ても生でも色鮮やか…

おかずの説明は、画像にマウスを乗せてね!
秋のオススメレシピ


You Tubeオススメ動画


どのシーンが好きか、教えてね…
