畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

中国から見た日本

2011-03-29 17:21:00 | 政治・経済
 ネット記事でみた「中国から見た日本」で、日本は困難をプラスに変えるエネルギーを持っている。だから日本は必ず復興すると中国人記者が書いたニュースを伝えた。


 それに対するネットユーザーのコメントが興味深い。私は「楽観視するな」という投稿が多いと思ったのだが、ほとんどが「言われるまでもなく日本は復興する!」というようなコメントが多かった。


 みなさん日本の復興を信じているんですね。それで私も救われます。

停電と鉄道会社

2011-03-29 07:13:00 | 日記
 東電管内で初めて平日の計画停電の実施が見送られた。


 これは電力の供給量が上がったわけでなく、気温の上昇により暖房需要が軽減されたためである。


 停電の影響で鉄道が運行削減となっているが、実はJRと私鉄には差がある。


 例えば東京メトロなどの地下鉄は本日は80%程度の運行に対し、JRは郊外路線の一部を除きほぼ通常運転。私鉄は3月14日から運転再開を始めいち早く回復したが、いまだ通常運行からはほど遠い。一方JRは3月14日は都心の一部を除くとほとんど運休。しかし震災後1週間を過ぎたら運行本数も戻った。


 この違いはJRの自主発電にある。JRは自主発電をしているが、現在は節電をして東京電力に供給するほど余裕がある状況。だが私鉄には発電所を構えるだけの資金に余裕かなく、東電に電力を頼る状況だ。


 JRは東電に電力を供給する立場だから運行本数にも支障がでない。一方東電は節電を求めているから、電力を供給を受ける立場の私鉄は恒常的な運行削減となる。


 この状況は電力が大幅に足りなくなる夏まで続くと思われる。

原発に関する素人考察

2011-03-29 05:50:00 | 日記
福島第一原発に高濃度の放射性物質を含む水たまりがある。


タービン建屋の水を排水するとトレンチの屋外の海へと続くトンネルの水位も低下しているという。本来なら原子炉と壁があるはずで、汚染された水など出るはずないのに。


さらに、原子炉を冷やす水をためる復水器がほぼ満水。


ここから考える状況は、原子炉を冷やしている水は今まで蒸発して減っていると考えられていたが、そうではなく排水管や格納炉などの損傷により水が漏れだしているのではないか。


当初格納炉に水を何度も注水したが、そもそも排水管から漏れているならばいっこうに水位が回復しないわけ。


さらに注水しただけ水が溜まってしまう。


これまでやってきた作業には意味があったんだろうか。


もちろん原子炉内の熱が高くなると爆発の危険性もあった。


だから意味はあったと信じたい。


福島ではプルトニウムも検出された。


微量と言っても、ニュースによっては「角砂糖5個分の大きさで1億人を致死させるだけの毒性がある」としている。


微量であっても本当に怖い。地震から3週間になろうとしているのに状況は悪化しているのだろうか。

低空飛行

2011-03-28 22:22:00 | 日記
 東日本大震災。もはや巨大な津波は影が薄くなり、原発の問題が大きく取り上げられる。


 原発関連の情報は停滞しているように見える。安定したのではない、超低空飛行に慣れてしまい、いつでも日本は墜落の危機にいる。


 原発に進展が見られないのはタービン建屋の水溜まりから高濃度の放射線が放出されていること。100万マイクロシーベルトとは、3時間で致死量だそうだ。

さすがにこれは危険だ。こんな中で決死に作業してくれる人なんかいない。


原発の収束までまだ2週間かかるか。その間の放射線の漏れを考えると、とてもではないが希望は持てない。現在原発から10km以内の遺体は放射線の量が高濃度になることから回収できないらしい。


 農作物や日本の技術の評価は地に落ちるだろう。日本は名実ともに二流国になる。国際の金利が上昇する。買い手が付かない。日本もアイスランドと同じように金融危機が起きる可能性がある。


 日本の未来はこの2週間に託された。作業員は無事で、そしてこのミッションを成功させて欲しい…。

ナベツネの思考

2011-03-28 06:59:00 | 日記
 セ・リーグが開幕を強行しようとしたのは巨人の渡辺恒夫会長の意向が強いのは間違いない。


 なぜこんな大震災時に開幕にこだわるのか理解に苦しむが、元中日の杉下茂氏が新聞に寄せた記事でなっとく。杉下氏は1959年の伊勢湾台風の強風と大水で名古屋市の南部が壊滅状態になった時の話をしていた。


 このときは1週間後の10月3日に試合を強行したが、上げ潮の時間に再びグラウンドが水没した。
(中略)
しかし、あのコールドゲームでも、何千人もの観客が来てくれた。その一人から「俺は家が水に浸かっているのに来ているんだぞ。おもえらもしっかり頑張れ」と声が飛び、スタンドはどっと沸いた私はあのたくましさこそが、町の復興につながったと信じている。」(東京新聞3月28日付け)



 今の世の中の風潮ならどうだろうか。まずは試合最中にグランドが水没し、何千人の観客がいたとなれば大問題になるだろう。

 家が水没して大変な時に、家族を放っておいて野球観戦に来たらそれこそ家族が崩壊するだろう。万が一叫んだ男性が独身であったとしてもスタンドどっと沸くほどの共感は得られまい。


 つまり、50年前と今は時代が違うのだ。だから今の価値観に合わせてスポーツを再開する時期を見極めないと批判を浴びる。


 例えば、学校教育で未だに体罰を認めるようなもの。または、未だにゲームの存在を否定してどんなに子どもがほしがろうと保護者の意向で無視すりようなもの。または、未だにケータイが嫌いで頑なに持とうとせず、仕事で連絡がつきずらくなってしまうようなもの。


 3つのいずれも現代にはそぐわない。温故知新という言葉もある。なんでも古いものが間違っているわけではない。ただ。古きものま新しいものとあうようにアレンジしたほうがよいのでは?古いままの思考では理解されない。