ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

右へ~ならえ

2012-03-23 12:18:00 | 社会・政治・一般
新聞のTV欄を見て、あきれ果てた。

3月11日のことだ。日曜日ではあるが、確定申告の繁忙期なので、今日も朝から出勤だ。ガラガラの電車のなかで、新聞を広げて読んでいたら、TV欄に驚いた。

まァ、端から端までどの番組をみても東日本大震災関連ばかりだ。たしかに大事件だったし、今も問題が山積みであり、復興は未だ目処がたたないのが実情だ。報道するだけの価値はあると思う。

だからといって、端から端まで震災がらみの番組とは、どういうこったい。気持ち悪いぞ。

私はあの震災があった一年後に特集番組を組むこと自体、反対もしないし、その番組内容によっては評価してもいいと思う。

しかし、TV欄を埋め尽くすが如き報道の仕方には違和感を禁じえない。真摯に震災を悼む番組があってもいいし、復興の現状を報道して、視聴者により強く関心をもってもらうような番組だってイイと思う。

でも、そんな悲劇的番組ばかり観たい人ばかりじゃない。休日の夜を家族で和やかに楽しみたい番組があってもいいと思うし、震災を忘れて無邪気に笑いたい人だっているはずだ。

それなのに、何だって皆に同じような番組を放送して、同じような感慨を抱かせようと強要するのか。誰もが皆、一様に震災を悼み、震災後の復興に思いを寄せなければならないのか。

そんなの勝手でしょ。

私はその日、まったくTVを観ることをしなかった。必要なニュースや天気予報は、ネットで済ませた。何事も度が過ぎると、むしろ逆効果だと思う。

安全な家のなかで、暖かい空気のなかで、お気楽に震災を悼むメ[ズをとるのは、私の好むところではない。偽善とまでは云わないが、他にやるべきことがあると思う。

私は震災の日に限らず、ここしばらく福島産の米を買い、岩手産の果物を買い、宮城産の野菜を積極的に買うことにしている。茨城産が売ってないので、これは致し方ないと思うが、私は少しくらいの放射能なら、ドンと来いの気分である。なにを今更だ。

仕事が忙しく、資金的にも余裕がないので実際に東北に赴くことが出来ないが、それでも私の出来る限りで支援したいと思う。だから、敢えて産地に拘って買い物をする。

震災特集番組を観ることより、私は自分で出来ることをやりたい。みんな同じでなくていい。少なくとも、みなが同じであることを強要されるのは、真っ平御免だ。
コメント (2)
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