夢と希望は大切なものだが、それですべてを解決するのは無理がある。
映画を観た後で、私は後ろ向きの感想をボヤかずにはいられなかった。ヒロイン役の少女が偶然手にしたコインが、夢の遊園地として作られたディズニーランドに秘められた謎へと導いてくれる。
コンセプトとしては面白いし、それなりに画面に引き込まれるだけの内容はあったと思う。ヒロインを差し置くジョージ・クルーニーの出しゃばり具合はともかくも、ロボット役の女の子の演技も目を引く。また映像的な美しさ、楽しさも合格レベルだと思う。
それでも私は、映画館を出た後でのモヤモヤ感に悩んだ。
確かに夢や希望は大切なものだ。その夢を見て、希望を捨てない人間は、果たしてその夢や希望に値する生き物なのか。その疑問が脳裏を離れない。近代文明は欧米の価値観から作られたものであり、その思想的基盤にはキリスト教があることは周知の事実である。
キリスト教におけては、人は神に作られたものであるがゆえに、人は完成されたものであることが前提である。しかし、現実には人は不完全なものだ。理性を踏みにじっての蛮行に及び、病魔に苦しみ、老化から逃れることもできない。
だからこそ悪魔の存在は必要だ。人間と敵対する存在あってこそのキリスト教であり、キリスト教の神を信じぬ異教徒もまた悪魔同様に敵対する存在として認識される。
唯一絶対無二の神が創りたもうた人であるがゆえに、完全でなければならないし、そうでないのなら、その完全さを損なう悪魔の存在が必要になる。これが欧米の近代文明における大きな制約となっている。
だが、私には現在の人と呼ばれる生物が完全、あるいは完成体だとは思えない。むしろ進化の途上にある不安定な生き物だと考えたほうが自然だと思う。進化には、外的要因(地球規模の天災など)の他にウィルスによるDNAへの干渉など内的要因もある。
現在の人類は、氷河期を生き延びた種であり、長きにわたる氷河期において、幾多の亜種ともいうべき人類との生存競争を勝ち抜いた種でもある。再び環境が激変すれば、今のままでいられる保証はなく、新たな種に滅ぼされる可能性は十分あると私は考えている。
つまり人類は不完全な存在だと思う。不完全であるがゆえに可能性を秘めているとも云えるが、未来永劫今のままでいられないのは確かだと思う。だが、この映画に限らず、欧米で製作される作品では、現行の人類こそが未来に続くと無意識に想定されているように思えてならない。
この疑問ゆえに、私は映画館を後にして、素直に面白い映画だと思えなくなってしまった。ただし、私のような余計な悩みに気をとられなければ、けっこう楽しめる作品だと思います。機会がありましたら是非どうぞ。