ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

絶歌騒動に思うこと

2015-06-24 12:34:00 | 社会・政治・一般

言論の自由は万能ではない。

未成年の残虐な殺人事件の犯人として世間を騒がせた少年が、出所して社会復帰したのちに発刊した本「絶歌」が問題となっている。幾人かの識者が指摘しているように、完全に反省しているかが疑わしい内容であるようだ。

それゆえ、愛する家族を殺された被害者の遺族などが、この本の出版について抗議の声を上げている。私はこの本を書店で棚積みされてものを、さっと目を通しただけだ。お金がない十代の頃に鍛えた立ち読みで馴れているので、けっこう得意である。

でも、買う気にはなれなかった。作者の自意識の誇示に嫌気が指したからでもあり、虚ろな反省の弁に不信感を覚えたからでもある。そして、この本を読んだ被害者家族が辛い想いをするであろうことも容易に分かった。

ただし、その後騒動になっているが、私は出版差し止めとか、販売禁止といったことには賛成できない。

「悪人の自白」という考え方がある。発言を禁じるよりも、むしろしゃべらせた方が真実に近づく。その自白をどう捉えるかで、世間の反応は変わる。本当に反省していると読めるのなら、犯罪者でも再び受け入れられる可能性は増す。

しかし、自白させた結果、反省よりも再犯の可能性が高いことが分かるのならば、世間は容易に許さない。追いつめられる形で、再び封じ込める可能性が増す。

被害者遺族には辛いかもしれないが、刑法という形式によるよりも、悪人の自白は遥かに犯罪を処罰できることがある。

ただ、欧米の一部であるように、このような犯罪者の自白本の印税は、半ば強制的にその一部または全部を被害者遺族救済に使うほうがいいのではないか。その意味で、犯罪者の自らの犯罪行為自白本から得られる利益は、制限をかけるべきではないかと思う。

言論の自由は絶対でもない。自由は無軌道、無遠慮、無分別になることが多い。一定の場合には、ある種の制限があってもいいと思う。

コメント (2)
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