ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

日本共産党 筆坂秀世

2015-06-25 12:17:00 | 

そろそろ、真実を伝えるべきだと思う。

日本の歴史教育の欠点の一つは、近現代史をまともに教えていないことだ。一例を挙げたいと思う。20世紀において、共産党は世界各国で非合法化され、我が日本もそれに追随している。

で、敢えて問いたい。何故、共産党は非合法化されたのか。

私が子供の頃、母が公立学校の用務員をしていたこともあって、日本共産党の党員や活動家は周囲に結構いた。メーデーの日に、代々木公園に終結してデモに参加したこともある。まァ、私はハイキングぐらいにしか思っていなかったが、赤旗が多数立てられ、演説がいたるところで聞こえてくる活気のある集まりであったと記憶している。

みんな、優しいイイ人ばかりだった。だからこそ、世の中の不平等に怒り、大資本家が牛耳る経済の矛盾に怒り、その犠牲となる貧しく弱い人々の味方として、常に共産党は先頭に立って戦っていた。

その日本共産党は、戦前は非合法政党であった。日本共産党を指導し、先導する宮本議長は戦前、刑務所に収監されて拷問さえ受けたと聞かされた。なぜ、平和を願い、弱い市民の味方である共産党が迫害されたのか。

この疑問に対して、正しい回答を云える学校の先生はいない。もっともらしい共産党の言い分を真面目な顔して、平然と口にする先生ならいたが、私はその答えの不自然さに気が付いていた。

禁止され、非合法化されるには、相応の理由があった。ただ、日本ではその答えが教えられていない。歴史の教師でさえ知らない人が多い。いや、マルクス主義を教える大学の先生でさえ、本当の答えを知らずにいることさえあった。

そうなると、大人になっても、その本当の答えを知らずに済ませている人は少なくなかった。知っていても、黙っていることのほうが多かった。呆れたことに、21世紀の今日にあっても、その本当の答えを知らず、漠然と曖昧に済ませている良識ある日本人は少なくない。

それでいいのか?

本当の答えはシンプルだ。共産党の目的は、世の中を変えることであり、その正しい目的を達成するためには、力による変革を認めていた。認めるだけでなく、それを実践していた。理論と行動が伴う真の改革者、それが共産党である。

もっと分かりやすく云えば、こういうことだ。マルクス主義者にとって、資本家が牛耳るこの世界は間違っている。それを糺すためには、武力をもってして資本家を打唐キることは正しい。

つまり、だ。マルクス主義者が大工場の社長の家族を誘拐し、身代金を獲得し、その金で武器を調達し、その武器をもって政府を倒して革命政権を樹立するってことだ。言い換えると、テロリストに理論的正当性を与えたとも云える。

マルクスがエンゲレスと共に書いた大作「資本論」とは、資本主義が間違っていることをあらゆる理論を通じて証明し、間違っている世の中を糺すために実効性のある行動によることは正しいと定義したものに他ならない。実効性のある手段とは、武力闘争に他ならない。

正しい目的のためなら、あらゆる手段が正当化される。その理論的根拠がマルクス主義となる。だからこそ、マルクス主義を掲げた政党、すなわち共産党は、世界各国で危険視されて非合法化された。当然であろう、反政府活動を是とし、既存の政府打倒目的なのだから。

それは日本においても同様である。しかし、不思議なくらい、日本ではマルクス主義を掲げる政党の、その本来の目的と手段については黙殺された。マルクス主義を、平和なものだと思い込んでいる日本人は少なくない。

まして、センデロ・ルミノソや連合赤軍のようにテロを正当な手段だと認識している共産系の組織と、日本の共産党は違うとさえ信じている。疑うことさえしない。それが戦後の日本であった。

とんでもない欺瞞である。日本共産党が本当に武力闘争の放棄を認めたのは、私が知る限りでは宮本議長の引退と、不破委員長による権力掌握以降である。実際のところ、その宮本議長でさえ、70年安保闘争の失敗と、浅間山荘事件と日本連合赤軍リンチ事件があってからは、表むき武力闘争は放棄していたかのように振る舞っている。

しかし、かつてコミンテルンが発表したテーゼを公に否定したのは、不破委員長が実質党の支配権を握って以降である。口舌の徒に過ぎない不破と異なり、実際に武力闘争に係った闘士である宮本議長にとって、武力闘争への未練は相当にあったのだと思う。

この迷いが、70年代の内ゲバ闘争の根っこにあると私は信じている。

表向き、70年代には武力闘争路線は完全に否定されていた。それは事実だと思う。しかし、私は知っていた。共産党の一部には、まだ武力闘争について未練があることを。それを察していたからこそ、若い運動家たちは、革マル派として内ゲバに走ったのだ。

誤解なきように言っておくが、70年代以降において日本共産党が武力闘争に直接関与するようなことはなかった。党内において異論を認めるような民主的な政党では断固ない。党の幹部たちは、民主集中制だと言っていたが、その本質は独裁政治である。党の上層部が決めたことは、異論も反論も許さない。それが日本共産党であった。

田中清玄らが云うような武力闘争への関与は、おそらくは60年代初頭になくなっていたと推測している。言い換えれば、60年代までは、水面下というか地下活動において、武力闘争への係りはあったと思う。

私がそのことをガキの癖に知っていたのは、若手の共産党の運動家たちが実際に自衛隊などの組織に潜入して、武力革命の実施を待ち望んでいたことを見聞きしていたからに他ならない。

そのことが、共産党の勇ましい演説に感動していた幼い私が、その共産党を疑い、やがては離れる契機となったからだ。長くなるので、明日続きを書きます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする