まともな野党って、今じゃ共産党だけでしょう?
最近、そう思っている人が増えているようだ。もちろん原因は、民主党政権3年間の日本の低迷にある。民主党政権に期待をかけた人は多かった。慢性化した自民党政権の停滞ぶりを打破してくれると期待したのだろう。
だが、あまりに期待外れの3年間であった。その反動が、日本共産党への評価につながっている。
思わずため息が出てしまう。なにも分かっていない。民主党がダメだったのは、変化を期待する民意ではなく、長年満たされなかった万年野党の執念を実現しようとしたからに他ならない。民意を国政に反映する気なんぞなく、ただただ、善意溢れる現実離れした政策を実現しようとしてコケた。それが民主党政権であった。
断言するが、もし万が一、日本共産党が政権の座についたら、日本の低迷は民主党政権の比ではない。
民主主義社会でありながら、日本共産党は民意を政治に反映させる政党ではない。賢明なる日本共産党幹部の意向を実現するために、党員一丸となって政治活動をすることを求めてきた政党である。
日本共産党のいう民主集中制とは、民意を共産党幹部の意向に沿わせることに他ならない。ならば、その共産党幹部の意向は常に正しかったのか?
そこに最大の問題がある。
前回、前々回と執拗に書いてきたが、私が共産党の問題に気が付くのには、かなりの時間がかかっている。唯一、私がその政治理念に共鳴し、熱く情熱をたぎらせたのが共産主義であった。それだけに、裏切られた傷は深く、その原因を直視するのは辛かった。
60年代までの日本共産党は、まさに次の連立政権の一翼を担えるだけの実力をもった政党であった。しかし、70年代に入ると次第に低迷し、それは今日まで続く。その原因となったのは、共産党幹部たちの指示に間違いがあり、なおかつ、その間違いを決して認めなかったからだ。
60年安保闘争、つづく70年安保闘争の主役は、学生運動家であった。日本共産党が強い影響力をもったこれら学生運動家の集まりである全学連は、その若さ故に過激な行動に出ることがあった。中野明大がそのカリスマ的な指導力を発揮して、国会に強引に攻め込んだりして、そのやり過ぎに共産党は焦りを隠せなかった。
この頃から、日本共産党は内部では、それまで密かに進めていた武力革命路線には消極的になり、代わって大衆を前面に出した穏健な共産主義革命、すなわち選挙での議席数拡大を目指すようになった。しかし、これが首尾一貫しておらず、その結果、中野は全学連から身を引き、武力革命路線を捨てきれない学生運動家たちは、革マル派として共産党の指揮下を離れた。
熱い理想を信じて日本共産党についていったのが間違いと知った若き学生運動家たちの離反は、日本共産党に大きなダメージを与えたと私は思う。それは学生だけでなく、労働組合にも大きく影響した。
この頃から革マル派に牛耳られた国鉄の労働組合は、意図的なサボタージュやストの乱発により国民の支持を失していた。そのことが国鉄の分割民営化につながるのだが、日本共産党は無力であった。武力革命に期待を抱いていた組合活動家は、もはや共産党の手足とはなり得なかった。
失望した学生運動家と労働組合員は、本来日本共産党の活動を支える次世代の柱となるべき人材であった。しかし、共産党の指導力不足により、失望し、離反し、結果的に日本共産党は国会において大きく議席を減らすこととなる。
繰り返すが、この原因は完全に武力革命路線を捨てきれなかった宮本議長の判断ミスだ。しかし、党の無謬性を絶対とする日本共産党は、その誤りを認めることを避け、当然に反省もしなかった。
しかも、宮本議長を引退させたのち、こっそりと武力革命路線を命じたコミンテルン・テーゼを否定し、大衆革命路線に完全に舵を切り替えたのは1990年代である。決して自らのミスを認めないが故に、反省もしない。それが日本共産党。
最近、日本共産党こそが唯一憲法9条を守ってきたなどと、ぬけぬけ言って支持者を集めている。それが嘘であることは、1985年発表の日本共産党の政策指針を読めば分かる。
その当時、日本共産党は既に自衛隊を容認し、自衛軍として活用することを明言している。執筆者は他ならぬ不破委員長である。自衛隊は違憲!なんて主張も、その時々でコロコロ変わっている。
ただ、決して自らの政策転換をミスだとは認めない。知らん顔して善人ぶりをする。それが日本共産党。
表題の本の著者は、長年日本共産党の内部にいただけに、私ほどは辛辣になれないようだ。しかし、私よりも遥かに冷静に、日本共産党の実態を解説してくれている。
次の選挙では、日本共産党に投票してみよう、期待を賭けてみようなどとお考えの方は、是非とも読んで欲しい。読めば分かる。読めば、宣伝文句と、本当の実態が乖離していることに気が付けると思います。