もしかしたら、アントニオ猪木が全盛期に一番苦労した相手かもしれない。
それが五輪の虎との異名をとったボブ・ループだ。メキシコ五輪に出場した筋金入りのアマレス育ちであり、ダニー・ホッジやディック・ハットンらと共にアマレス出身のシュート・レスラーとして知られている。
もっともシュートという言葉が知られるようになったのは90年代以降であり、ループの活躍した時代だと、ガチンコ・レスラーなんて云われていたと記憶している。
ガチンコは相撲用語であり、要は本気のつぶし合いである。実力者にたいして使われる言葉ではあったが、どちらかといえばプロレスの世界では否定的な意味合いがある。
プロレスは格闘演劇であり、どちらが強いかではなく、強さを競い合う醍醐味で観客を喜ばせる興業である。割と勘違いしやすいのだが、真剣に強さを競い合うと、概ね陰惨な戦いになりがちだ。とても楽しめるものではない。
ホッジは割と柔軟にプロレスを演じていたが、ハットンは頑固者でプロレスを拒否することがあり、それがプロモーターから敬遠された一因である。同様にループも頑固な点ではハットンといい勝負だったと思う。
もちろんプロレスを演じることもあった。たしか私がまだ小学生の頃だが、日本プロレスに初参戦した時のループは、間違いなくプロレスをやっていたと思う。またその後、馬場の全日本にも一度参加しており、やはりプロレスをやっていたと思われる。
ただ、興業主である馬場にフォール勝ちしている。そのせいか二度と呼ばれなくなった。そして私が高校生の頃、猪木の新日本プロレスに参加している。私のおぼろげな記憶では、普通にプロレスをやっていたと思う。
しかし、猪木の有するチャンピオンベルトに挑戦する試合で、突如ループは牙を剥いた。ひたすらにグランドレスリングに徹して猪木を翻弄した。猪木はなんとか立ってプロレスに戻そうとするが、ループは頑なに拒否したように思う。
結局最後は悪役マネージャーのマレンコが乱入しての反則負け。ループは意気揚々と退場していった。これが日本での最後の試合であった。この試合のせいで、ループはガチンコ・レスラーとして伝説化してしまった。
だが、私からすると、プロレスを拒否したダサい試合であったと思う。実際、猪木は馬場同様にループを呼ぶことをしていない。ループはその後、首の怪我で引退しているのだが、彼のインタビューが興味深い。
引退後のインタビューであったが、ループは猪木のことを高く評価していた。あたしゃ「へ?」と思ったよ。だったら、何故にプロレスをやらなかった。あのようなグランドの攻防では、ループに分があるのは当然だろうに。
どうもループは、自身が強いと認めた相手だとプロレスを演じきれず、本気でレスリングをしてしまう傾向があったようだ。異論はあるだろうが、私はアントニオ猪木というプロレスラーの全盛期は、1970年代から80年代前半までだと考えている。つまりIWGPを言い出す前だ。その猪木も閉口する頑固者、それがループ。
ちなみに本気になればチャンピオンより強いと言われたディック・マードックとも危ない試合をやらかしている。この試合を最近、ユーチューブで視たが、実に興味深かった。
レスリングの技術だけなら若干ループに軍配が上がるが、アマチュアボクサー上がりのマードックがパンチを繰り出すと劣勢に。そこでグランドでの勝負に持ち込み、マードックの拳を執拗に痛めつける。
次第に試合は危ない雰囲気を醸し出すが、それを察した他のレスラーが乱入して、試合をぶち壊して終了。
なんとも危ないレスラー、それがボブ・ループでしたよ。