ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

古事記異聞 鬼の棲む国 高田崇史

2023-08-11 18:09:59 | 

世界最古の王族と云われるのが日本の天皇家だ。

なぜに天皇家が生き残ったのか、このことを不思議に思わないのは歴史的センスに欠けると思う。少なくとも実権を失った旧支配者は、歴史から消される。それが普通だ。子や孫はもちろん親戚でさえ情け容赦なく消されるのは、有史以来当然の理であったはず。

少数ながら生き残った王族はいるにはいる。多くの場合、新しい支配者の眷属としてであり、利用価値がなくなれば消えていく。あるいは山奥やジャングルの奥深くに埋没して、人々の意識から消え去っているだけで、取り敢えず生き残った王族もいる。

しかし新しい支配者にとって古い支配者は概ね邪魔である以上に危険な存在として認識される。だからこそ根絶されてきた。

ところが日本列島のかつての支配者である天皇家は今日まで生き残った。実権もなく金銀財宝を持つでもなく、貴重な文化の担い手であった訳でもない。ただ権威はあったゆえに、新しい支配者にとっての承認者としての役割が、辛うじて残っているだけの不思議な存在。

更に不思議なのは、古代の天皇たちの墓所である天皇陵の存在である。これも不思議なことに残されている。大都市のど真ん中に無駄に残されている。一部が公園となっている場合もあるようだが、墓所として人々に認識されている。

しかも一等地であり、人口が増加し、経済的にも巨大になった都市部で、移設されることもなく残されている。古の古城のような文化的価値があるとも思えない。観光名所でさえない。いやガイドブックに載ってはいるが、行ってもつまらないぞ。

まぁ墓所を穢すことを恐れる怨霊信仰の顕れだと理解するのが妥当だと思うけど、天皇家以外だとわりと墓所だって所在不明、あるいは他に転用されているケースは少なくない。仏教のお寺が増えて、墓所も小型化するようになった時代でも、天皇陵だけは別格扱いらしい。

今も答えを求めて模索中だが、一つ考えているのは古代出雲の統治者であったと思われる大国主命による国譲りである。大和朝廷による支配者交代劇の敗者であり、本来ならば歴史から消え去って当然の旧支配者だ。そして、これは特筆すべきことだが、何故だか出雲大社は別格の存在として今日まで残っている。

それを国譲りといったフィクションで塗布して、悲劇を匂わせないようにしたのは、当時から日本人が最も恐れたのが怨霊であったからだと思う。大国主命を怨霊化させないが故の「国譲り」といった誤魔化しであり、実際には戦争と虐殺、破壊であったはず。

だからこそ大和王朝は、出雲の旧支配者が怨霊と化すのを恐れて、出雲大社をはじめ幾つもの立派な神社を建立したのだと推測できます。ただ反・大和朝廷派がすべてであったというより、敗戦後に大和朝廷の権威に服した人たちもいたはずです。彼らに対する慰め、あるいは慰撫の意味合いもあったのではないかと想像も出来るのです。

出雲地方は、その意味で極めて日本的な権力交代劇の原点であったと考えています。私はまだ行ったことがないのですが、表題の書を読んで、やはり一度は自らの目で見てみたいと思うようになりました。

それにしても古代日本史は難関です。勉強不足の私は未だ古代日本史について想像の青写真さえ描けずにいます。焦らず、慌てず、ゆっくりと学んでいきたいと考えています。

コメント (2)
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