誰もが胸を躍らせる小学校入学。新しいランドセル、新しい筆箱、そして新しい友達と新しい先生との出会い。自分が一歩、大人に近づいた気さえしたものです。
率直に言って、たしかに私は問題児だったと思う。じっとしているのが嫌いで、興味がないことには関心を示さないわがままぶり。だから先生の話も、面白くないとすぐに飽きて、筆箱をいじくったり、余所見したりして、先生の注意と叱責の対象とされた。
はじめて親を呼び出されたのは、清掃時間にゴミの上に乗っかって滑って遊んでいたことを咎められたのが原因だった。わずか3ヶ月あまりで3回、親を呼び出され叱責された。最初は先生と一緒に私を咎めていた母も、あの先生はちょっとヘンね、と私に言うようになった。
子供ながらに、私は気が付いていた。実は同じクラスに、所謂「智恵遅れ」の子供がいて、彼は授業を勝手に抜け出したり、大声を急に上げたりして、担任の先生の頭痛の種になっていることを。でも、さすがにその子には叱ったりしなかった。ただ、苦情は校長などに言っていたらしく、2学期からその子は特殊学級に移ってしまった。
問題は、その子を叱るかわりに私を叱っていた形跡が観られること。最悪なのは、それを子供達に気付かれていたことだった。同じクラスの子たちも、どちらかといえば私に同情的だった。それがますます気に障っていたらしい。
しかし、問題はじきに片付いた。夏休みを終えて二学期になると初老の女性が担任に代わっていた。なんと出産のための長期の産休を理由の担任交代だった。妊娠によるストレスがどのようなものか、私には分かりませんが、影響がまったくなかったとは言えますまい。だとしても、その教師としての適性には問題があると思う。
小学校の初めての担任の先生がこれでしたから、私はいつのまにやら、先生というものに対して極めて醒めた見方をするようになっていた。もう30年以上昔の話ですが、当時からいたのですよ、指導力不足の先生はね。
ちなみに「おばあちゃん子」だった私は初老の女性教師には、すっかり馴染み問題児の汚名は返上しました。もっとも一年半後に転校先で、またしても問題教師に出会ってしまうのですが、それは以前書いた(「シャーロック・ホームズの冒険」参照)通りです。
率直に言って、たしかに私は問題児だったと思う。じっとしているのが嫌いで、興味がないことには関心を示さないわがままぶり。だから先生の話も、面白くないとすぐに飽きて、筆箱をいじくったり、余所見したりして、先生の注意と叱責の対象とされた。
はじめて親を呼び出されたのは、清掃時間にゴミの上に乗っかって滑って遊んでいたことを咎められたのが原因だった。わずか3ヶ月あまりで3回、親を呼び出され叱責された。最初は先生と一緒に私を咎めていた母も、あの先生はちょっとヘンね、と私に言うようになった。
子供ながらに、私は気が付いていた。実は同じクラスに、所謂「智恵遅れ」の子供がいて、彼は授業を勝手に抜け出したり、大声を急に上げたりして、担任の先生の頭痛の種になっていることを。でも、さすがにその子には叱ったりしなかった。ただ、苦情は校長などに言っていたらしく、2学期からその子は特殊学級に移ってしまった。
問題は、その子を叱るかわりに私を叱っていた形跡が観られること。最悪なのは、それを子供達に気付かれていたことだった。同じクラスの子たちも、どちらかといえば私に同情的だった。それがますます気に障っていたらしい。
しかし、問題はじきに片付いた。夏休みを終えて二学期になると初老の女性が担任に代わっていた。なんと出産のための長期の産休を理由の担任交代だった。妊娠によるストレスがどのようなものか、私には分かりませんが、影響がまったくなかったとは言えますまい。だとしても、その教師としての適性には問題があると思う。
小学校の初めての担任の先生がこれでしたから、私はいつのまにやら、先生というものに対して極めて醒めた見方をするようになっていた。もう30年以上昔の話ですが、当時からいたのですよ、指導力不足の先生はね。
ちなみに「おばあちゃん子」だった私は初老の女性教師には、すっかり馴染み問題児の汚名は返上しました。もっとも一年半後に転校先で、またしても問題教師に出会ってしまうのですが、それは以前書いた(「シャーロック・ホームズの冒険」参照)通りです。
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