日本人の軍事音痴には、ほとほと呆れる。
太平洋戦争の反省と称して、軍事に関する専門的な教育を排除することが平和につながると考えた結果である。こんな愚かな発想で、戦後の日本人を軍事面で痴呆化させてきたのだから、教育関係者は大いに反省すべきである。
もちろん彼らが反省なんざする訳ないことは、私も重々承知している。彼らは自らが脳裏に描く麗しき平和な日本を汚す軍事知識なんて知りたくなんかない。ただ、脳内お花畑で平和の宴で酔い痴れていたいだけだ。
だから醜くて、残酷な軍事知識なんて汚い現実を見せないで!と頭ごなしに拒否するだけだ。
この手のおバカちゃんは教育関係者に多いのだが、彼ら以上に困るのはマスコミ内部に蔓延る脳内平和主義者たちだ。特に報道という仕事をしていれば、どうしたって戦争や軍事に関して、いつまでも目を背ける訳にはいかない。
基本的に、日本はアメリカの同盟国である。もっといえばアメリカの軍事的な従属下にある。アメリカの敵と対峙することが、日本の国防の基本路線である。
日本を守るという目的は嘘ではないけど、より正確には日本列島を守る軍隊が自衛隊である。その日本列島にはアメリカが国外に保有する最大の軍事基地があるがゆえに、アメリカ軍基地を守る役割を持っているのが自衛隊と称する日本の軍隊です。
この視点がないと、日本が保有すべき適正な軍事力は測れない。
いささか憤懣やるかたない気持ちが生じるが、日本が持つべき適正な軍事力とは、アメリカの国防戦略上で上限が決められる。ところが例外があるからややこしい。本来細長い列島国家である日本が重戦車を保有する必要はない。
以前、日本を訪れたイスラエルの軍関係者が「何故、日本が高額な重戦車を自前で開発して保有するのか?」と述べて、防衛庁の人間を困らせていた。建前では北海道に上陸するかもしれないソ連軍対策である。それはウソではないけど、おそらく本音は日本政府の意地である。
アメリカの国防戦略では、日本が戦車による戦闘をすることは想定していない。それを承知で自前の戦車開発能力を残しておくため、意地でも自国開発に拘っただけだ。
なんで、そんなに意地になるのかといえば、日本の軍事力が事実上アメリカ太平洋艦隊護衛と、アメリカ軍の兵站拠点防衛に偏った構成になっているからだ。それを不快に思っている政府関係者は意外なほど多い。
その一方で、アメリカの従属下にあることこそ、日本の国防の基本だと達観している人も決して少なくない。いや、多数派なのかもしれない。
しかし、最近の防衛大綱などを読むと、徐々に日本の国防方針も、アメリカ後を考えているような気がしてならない。第一次大戦後より先、アメリカこそが覇権国であり、日本は一度はそれに逆らい手痛い敗北を喫している。
太平洋戦争の敗戦以後は、アメリカの軍事的従属下にあって経済成長に特化して復活したのが我が日本である。しかし、そのアメリカとて永久に覇権国ではいられない。
時代は変わり、かつてアメリカに唯一対抗できる覇権国であったソ連が失墜し、替わって新たな挑戦者として共産シナが登場した。だが、はっきり言って、共産シナは、アメリカの対抗馬としては、いささか力不足である。
その影響もあるのだろうが、アメリカはF15の後継機であるF22ラプターの同盟国への輸出を拒んだ。海に囲まれた日本にとって、制空権の支配は最重要であり、最新機が入手できないことは防衛力の低下を意味する。
一方、潜在的敵国であるロシアと共産シナは最新の戦闘機の導入を進めている。日本のマスコミは基本的な軍事知識が欠落しているだけでなく、何故だか共産シナ軍の動向には異様なほどに報道を避ける。
おそらく北京政府から中国国内に配置している駐在記者たちを追放されるのを恐れてのことだと思う。でも、それでは困る。アメリカの支援を受けられなくなった日本にとって、一番の脅威は間違いなく共産シナ軍であろう。
別にシナを征服するための軍事力なんて必要ない。ただ共産シナ軍が侵攻を躊躇う程度の軍事力があれば、日本の平和は守られる。言い換えれば、共産シナ軍の軍事情報を適切に理解することが重要となる。
そして困ったことに、日本のマスコミ様はこの点、まったく当てにならない。
軍事力とは相対的なものだ。共産シナ軍の軍事能力次第で、日本が必要とする最低限の軍事力が変わる。本気で日本の平和を求めるのなら、周辺国家の軍事情報は必要不可欠なものとなる。
それが分からないのが日本のマスコミ様。たまに報じてもいい加減な記事が多い。取材の多寡以前に、基本的な軍事知識がないのが致命的。
私は基本、怠け者で好戦的な平和主義者。私の怠惰な生活を守るため、私なりに情報収集しています。長くなるので、数回に分けて書き散らかしていこうと思います。
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