ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「囚人同盟」 デニス・リーマン

2008-09-05 15:48:59 | 
長々と続いた口論が、ふと途切れた直後だった。

「あんたは、良い事も悪い事も真面目にやるから嫌いだよ」と言われて絶句した。

長い付き合いの女友達だけに、妙な点に着目しやがると舌を巻いた。たしかに、そういった側面が私にはある。思わず考え込んでしまい、反論出来なかった。

私は今でこそ、真面目でございますと生きているが、いつも真面目だった訳ではない。とりわけ子供の自分は、むしろ正反対で、少なからぬ先生たちから問題児扱いされていた。補導されたことも一回や二回では済まない。

白状すると、悪いことだとは自覚していたが、何で悪いのだと開き直っていた。喧嘩をするのは、傷つけられた報復だし、物を壊すのは、私を苛立たせるからだ。嘘をつくのは、自分の自尊心を守るためだし、黙っているのは、守るべき信義があるからだ。

真面目に生きると決意を固めてからも、私は悪い事を平然とやることをなかなか止められなかった。高校生の頃には、成績だけなら優等生だったが、酒タバコはもちろんパチンコなどのギャンブルを放課後、平然と楽しんでいた。

校則違反であることは承知していたし、未成年者の酒タバコは、多分なんらかの法令違反だとも自覚していた。でも、そんなに悪いことだとは思っていなかった。

当時の私にとって、悪い事とは、家族や友人を裏切ることであり、騙すことであり、傷つけることであった。酒タバコなんて、たいして悪くないと思っていた。世間一般の考えとは、いささかずれている事は知っていたが、考えを改める必然性も感じなかった。

当然というか、付き合う友達も、高校時代から酒タバコは当然で、パブや居酒屋に入ることも当たり前の連中ばかりだった。思い返すと、あまりに真面目な連中とは、積極的には付き合わなかった。ワイシャツのボタンを一番上まで締めている奴とか、遅刻も早引けも出来ない連中と一緒に居ても面白くないからだ。

ところが、大学がいわゆるお坊ちゃんお嬢ちゃんが多く通う品の良い学校であったため、いささか調子が狂った。ワンゲル部で登山に熱中していたこともあり、あまり悪いことが出来なくなってしまった。

交通違反を別にすれば、いったって健全な青年に様変わりしてしまった。妹は不思議がり、母は喜んでいたようだが、当の私は戸惑っていた。いささか、物足りない気持ちを抱えていたことは確かだった。

ところで、悪いことの「悪い」って一体なんなんだろう?

私の場合、育ちの悪さも影響していると思うが、世間一般でいうところの悪い事と、私の自覚する悪い事がずれている。ずれてはいるが、本質的に許せる悪い事と、許せない悪い事はたしかにある。

許せないのは、正義の側に立ち、正当な立場で私利私欲のために公権力を行使する輩だ。

表題の作品は、犯罪者を収監した刑務所内部において、その犯罪者を食い物にする刑務所長とその取り巻きたちが真の悪役だ。絶望的な境遇のなかで、囚人たちは力を合わせて立ち向かい、智恵を絞って策略を練る。

その戦いは刑務所のなかだけでは終わらない。法廷で暴かれる偽りの正義の顛末を知りたければ、是非ご一読を。ちなみに、作者はこの作品を収監中の刑務所のなかで書き上げました。ちと、変り種のミステリーです。
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雑誌ロードショーの休刊

2008-09-04 12:28:18 | 社会・政治・一般
雑誌「ロードショー」が休刊したとの報を眼にした。

最近は手にしていなかったが、映画とりわけ洋画に夢中だった頃は、愛読者の一人だった。70年代当時は邦画が不振で、面白い映画といえば当然に洋画だった。

本当のところ、私にはいささか白人に対する差別感がある。自分よりも一回りも二まわりも大きい白人の子供と散々喧嘩をしてきたせいだ。夏から秋にかけての時期に、よく取っ組み合っていたので、連中のチーズ臭い体臭にはいささかウンザリしていた。

しかし、そんな差別感を忘れさすほど洋画は面白かった。ざっと思い出しても「ポセイドン・アドベンチャー」「大脱走」「ナヴァロンの要塞」「卒業」と鮮やかに記憶が呼び覚まされる。その洋画を綺麗なグラビアで紹介する雑誌が「ロードショー」だった。俳優のインタビュー記事や、撮影現場の裏話などを読み漁ったものだ。

実はもう一冊「スクリーン」という似たコンセプトの雑誌もあった。その別冊はポルノ映画(もちろん洋物)専門で、私としては興味津々ではあったが、妹たちと回し読みすることもあって手が出せなかったのも懐かしい思い出だ。

されどインターネットの普及に伴い、映画の情報もネットで得る時代となり、映画雑誌の発行部数も大幅に減少し、広告収入も激減したための休刊であるようだ。時代の流れとはいえ、いささか寂しい。

思い返すと、昔は映画を観るというイベントは特別なものだった。映画館へ赴き、ジュースやお菓子を抱え、2時間余りを過ごす。日常空間から離れて、異世界を覗く特別な時間だった。自宅の居間で見るTV映画では、この特別な感覚は味わえない。

しかし、ビデオの普及で気軽に、自分の都合に合わせて何時でも映画が観れるようになると、わざわざ映画館へ足を運ぶ回数も減ってしまった。映画を身近に観れるようになった反面、ある種のありがたみが薄れた気がする。

ここしばらく映画館には足を運んでいない。映画雑誌の休刊も止む無きことなのだろう。でも、映画館の巨大なスクリーンと、迫力ある音響システムで観る映画は格別なのも分っている。

怠け癖を追い立てて、努力して時間を作って、映画館に足を運んでみますかね。
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「リングワールド」 ラリー・ニーブン

2008-09-03 12:28:37 | 
アイディア倒れじゃないか?

これは珍しくハードカバーで読んだ。アイディアの壮大さに圧倒されたのは間違いない。SF小説の醍醐味が、その奇想天外なアイディアにあるとしたら、この作品は間違いなく横綱級だと思う。

ただ、読んでいる最中から、もぞもぞと欲求不満が湧き出したのも事実。この壮大なアイディアが活かされていない、と感じてしまったのだ。なによりも、その壮大さに必然性が感じられず、遠い将来の人類に活かされるかもしれない革新的なアイディアにも関らず、その実用性に疑問さえ湧いてしまった。

あまりに壮大なくせに、妙に実用性を持たせたが故に、そのアイディアにケチをつけたくなる。多分、作者もある種の不満を抱えたのだと思う。だから続編を書いたのだと推測できるが、こちらもイマイチだった。でも人気はあるのは間違いない。ただ、SFファン大会などでは、結構物議を醸す作品であるらしい。いろいろとケチをつけられているとも聞く。

はったりはデカイほうが面白いが、それを実用に供すると問題が起こる。

余談だが、ピラミッドはまるで実用的でないからこそ素晴らしい。でも、あんなデカイ墓があったら、子孫は迷惑すると思う。広大な乾燥地帯だからこそ許される我が侭だ。一方、衛星軌道からでも見えると言われる万里の長城だが、私に言わせれば環境破壊の原因でもある。

あの長城は、遊牧民族の侵略を防ぐ目的で築かれたものだが、実際には乗り越えて侵略されている。一番、困ったのは放牧されたヤギや羊たちだった。これらの草食動物は、草の根っ子まで食べつくす。万里の長城があるおかげで、その生息域を変えることが出来ず、結果としてその地域の草を根っ子まで食べ尽くして、砂漠化を招いた。

長城がなければ、羊やヤギは移動出来たが、それが叶わぬゆえに砂漠化は進行した。一度砂漠化した平原を元に戻すことは至難の業だ。現代中国を悩ます乾燥化の一因が、実は中華民族誇りの万里の長城だというから皮肉なものだ。

リングワールドも、もし実際に存在したら、案外迷惑なものになるのかもしれません。
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福田首相の辞任

2008-09-02 12:12:37 | 社会・政治・一般
昨夜、速報が出ているから何かと思ったら、福田首相の辞任だった。

小泉内閣の時にも、年金問題が出て早々に官房長官を辞任した。まだ福田氏本人に対する批難は出ていなかったにも関らず、あっさりと辞任した。この人、傷を負うのを厭う人なんだなと感じた。つまり、間違っても改革派にはならないタイプだ。

その意味で、小泉改革路線を引き継いだ安倍・前首相の後継として理想的だったのだろう。公共事業を大きく削減した小泉改革の下で、悲嘆を舐めた与党政治家勢にとっては、渡りに船の福田内閣だったと思う。案の定、大きな改革はまったくやらずに、波風立てない、事なかれ政治をやりだして、はや一年。

妙な時期に辞任したと思うが、これ以上傷つくのが嫌だったのだろうと推測している。定められた路線を忠実に歩むのは好きだが、自ら先頭に立って道を切り拓くタイプではない。

憶測だけど、多分公明党に対するしっぺ返しではないかと思う。長きにわたった自民、公明の連立政権もそろそろ寿命だと思う。そもそも参議院選で敗北した時点で、もはや公明党を与党に引き込むメリットは大幅に減少していた。それでも、一応は連立のかたちを維持したが、公明党は少しいい気になりすぎた。

どうやら近づきつつある衆議院選挙において、公明党がどのような選挙態勢をとるのか興味深いと思う。マスコミがさかんに劣勢を報じる自民は、けっこう根強い。実は徐々に支持率を下げている民主と公明の連立も考えられるが、与党ずれしてしまっている公明は、自民との敵対は避けたいだろう。

いずれにせよ、福田首相の辞任は、次の選挙を有利に戦うための布石だと思う。ただ、この不況下での選挙は、間違いなく与党に不利なはず。選挙の予測は苦手だが、なんとなく世間の風向きは、気分刷新を期待しているように思う。自民の総裁選や新内閣程度では収まらない気がする。

圧倒的多数を握る現・衆議院にしがみ付きたい気持ちは分るが、不満のマグマを溜め込んだ民意を舐めないほうが良いと思う。選挙なしで小沢続投を決めた民主が、民意の受け手となりうるか、いささか疑問だが、世の中が変って欲しいと願う民意の風がどちらに吹くかは不明だ。

ただ、変ったからといって、それが良いほうに転ぶと限らない。今以上に悪くなる可能性は、十分あると思う。この不況、あんがい長いものとなるかもしれません。
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「砂の城」 一条ゆかり

2008-09-01 13:21:36 | 
いきなり「キャー!!」と悲鳴を上げられた。でも「なんだ、ヌマンタか」と何事もなく着替えを続ける女の子たち。なんなんだ?

小学校6年の水泳の授業の時だった。4時間目は体育の水泳の授業で、私は給食当番だったので、少し早めにプールを出て、着替えに教室に戻ってきた矢先だった。

なぜか、クラスの女子3名ほどが先に戻って着替えていた。私が扉を開けて入ると悲鳴を上げたのは、着替えを見られるのを恥じてだと思う。断っておくが、別に覗きにいったわけではない。当時は着替えも男女一緒だっただけだ。

今にして思い返すと、あの3人は成長が早かった。胸も大きくなっていたのをからかった覚えがある。多分、担任の先生に相談して、早めに着替えることを御願いしていたのだろう。きっと、男女同時に着替えるのが嫌だったのだろうと思う。

で、なんで「なんだ、ヌマンタか」なんだ。俺だって男だぞ。

いや、分っている。当時はまだ男の子だった。女の子の着替えなんざ、まるで興味がなかった。からかうのは好きだったが、性的興味はまるでなかった。そのことを見抜かれていたからこその科白なんだろう。思い出すと、ちょっと複雑な気分。

それはともかく、何故にか女の子は成長が早い。身体だけではない。意識が大人びるのも早かったと思う。それを思い知らされたのが表題の漫画だった。

妹が買って来る少女マンガ雑誌の巻頭で、カラー刷りで掲載されたが、なによりもそのストーリーに圧倒された。こんな重いテーマを描いた漫画は、当時少年誌ではまずなかったと思う。

後年、インタビューで一条ゆかり本人が、嫌いな主人公にナタリーと言い放ったのには絶句した。よっぽど描くのに苦労したのだろうか。あまりに重い作品なので、私は少々引きながら読んでいた覚えがある。下手な純文学よりも、はるかに重厚だと思う。でも、妹も含めて当時の女の子たちは軽々読んでいた気がする。

やっぱり、男と女は違うもんだと実感した作品でもあります。ちなみに上の妹は、今でも単行本を大事に本棚に飾っているようです。
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