少し哀しく思うのが、最近のジョナサン・ケラーマンである。
一時期、本当に私は夢中になって読んでいた。臨床小児心理医アレックスを主人公にしたサイコ・ミステリーには、かなりはまっていた。小児虐待がからむ事件が多く、陰惨な印象は否めないが、そこは主人公の健全な正義感により救われていた。
サイコ・ミステリーの場合、どうしても事件は悲惨であり、残虐であることから読者にも心理的ダメージを被ることが多い。それは致し方ないことではあるが、だからこそ健全な感性が必要となる。
アレックス・シリーズはその点のバランスが良く、子供が犠牲になる悲惨な事件を扱っていても、どこかに健やかなイメージがあって、私は好んで読んでいた。
「大きな枝が折れる時」「グラス・キャニオン」「少女ホリーの埋もれた怒り」などは、数回繰り返して読んでいる。本当にお気に入りであった。
しかし、いつの頃からか作品が妙に軽くなった。記憶に残らず、繰り返し読みたいとは思わなくなってきたのだ。その発端となったのが表題の作品ではないかと思う。
久々に再読してみたが、決してツマラナイ作品ではない。でも、もう一度読みたいかと問われれば、否定的に為らざるを得ない。
現在、作者は女刑事ベドラ・シリーズに傾倒しており、アレックスの新作は出ていない。でも、ペドラが主人公の作品も、私には物足りない。初期の頃の作品にあった、世の中の非道な小児虐待への怒りが薄れたというか、方向性が変わってきていることが残念でならない。
最近の作品は、ミステリーとしては決して駄作な訳ではない。初期の頃よりも、読みやすく感じるのは確か。でも、どこか、あるいは何か物足りない。
臨床小児心理医アレックスは、若い頃に悲惨な小児患者を多く見過ぎて、心が病んでしまって引退したという設定であった。もしかしたら、ケラーマン氏もサイコホラーに疲れてしまって、昔のやる気を失ったのかもしれない。
日本ではギャグ漫画を描き続けると、心が壊れてしまう作家が出ることが問題になっていた。アメリカでは、サイコ・ミステリーがそうなのかもしれませんね。