日本史における最大の反逆事件とされるのが、本能寺の変ではないか。
反逆者は他のもいるが、明智光秀ほど、その反逆が大きく評価された人物はいない。なぜなら、織田信長という日本を変えた英雄に反逆し、殺すことに成功しているからだ。
ただ、その成功は長続きしなかった。もし、仮に明智が秀吉や柴田を破り、家康を唐オていたのなら、彼は英雄であった。そうであったはずだ。だが、三日天下に終わったが故に、必要以上に貶められてしまったことが明智の不幸でもある。
その明智の子孫を名乗るのが、表題の漫画の原作者である。なんとか明智光秀の名誉回復に務めんとする市井の学者でもある。ただ、あまり良い評価はないのが実情である。
それでも敢えてプラスに評価するとしたのならば、明智光秀の再評価に一定の功績はあるとも云えるからだ。
私自身は、この明智憲三郎氏の明智擁護論には与さない。
だが、明智光秀は見直す必要がある武将ではあると考えている。織田、豊臣、徳川と続いた歴史が、どうしても光秀を悪役に貶めるせいで、過小評価されていると思うからだ。
推測ではあるが、おそらく明智光秀を誰よりも高く評価していたのは、他ならぬ織田信長であったと思う。流浪の武将であった光秀を配下に加えただけでなく、最初に最重要とも云える近江・滋賀の地の支配を任せていることが、なによりもその証左である。
柴田は豊かな越後、秀吉は琵琶湖畔の長浜と地域支配を任せているが、当時の政治状況を思えば、最重要拠点を任されていた光秀は、信長の最も信頼の厚い家臣であったと考えて良いと思う。
ただ優秀すぎて信長の覚えは良くても、他の家臣たちからの人望はあまりなかったように思う。だからこそ、本能寺の変の直後、彼に味方するものが少なかったのではないか。
では、妬まれるほどに優秀であった光秀とは如何なる人物であったのか。諸説数多あり、近年でも多くの小説、ドラマなどの題材となっている。表題の作品もその一つである。
いささか秀吉が悪辣に描かれ過ぎの感があるが、多面的な評価の一助にはなると思うで、興味がありましたら是非ご一読を。