ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

もつ鍋屋

2023-08-14 09:30:08 | 健康・病気・薬・食事

景気が悪くなるともつ鍋が流行るんだよな。

そう私に呟いたのは、ある飲食店のオーナーだった。丁度バブルが弾けて、銀行の統廃合が相次いだ頃だった。当時、確かに雨後の筍のようにもつ鍋店が繁華街に増えだした。

これはモツと呼ばれる内臓肉が安いからだ。私はそのオーナーにもつ鍋を献立に増やすのですかと問うと、その方は首を振り「面倒だから嫌だ」と答えた。

変に思ったのは、このオーナー、自ら包丁を握るだけでなく、献立作り、ライバル店への視察と研究熱心な方で、仕事に関しては面倒くさがることは皆無であったからだ。

不審がる私に教えてくれたのは内臓肉の仕入れの難しさであった。正肉と呼ばれる赤身の肉と内臓肉では仕入れルートが違うという。解体する市場自体が別系統であり、取り扱う業者も異なるそうだ。

そして、内臓肉の仕入れは年季が要る。なにせ足が速いというか、日持ちしないのが内臓肉である。肉の鮮度を見抜く目がないと、良くない物を押し付けられるという。なにしろ内臓肉を扱う業者は癖が強い。若い店だと半ば強引に鮮度の落ちた内臓肉を押し付けられるし、ベテランでも気が抜けないという。

仏教の影響か日本人は長年動物の肉を避けた食生活を送ってきたので、肉の扱いにはいささか不慣れな面がある。赤身の肉ならば判断しやすく、かつ研究熱心な日本人は肉食中心の欧米に負けないくらい良質な精肉が流通している。

しかし内臓肉に関しては、まだまだ歴史が浅い。そして古くから内臓肉を取り扱ってきたのは、いわゆる被差別部落の人が多い。そこに戦後は半島出身者が大量に入り込んだため、内臓肉の流通は癖の強い人が多いそうだ。

とはいえ、内臓肉は調理方法さえ間違えなければ非常に美味しい。新鮮な貝のような歯ごたえと、甘みのある脂肪にくるまれたホルモンは癖になる美味さがある。幸いにして私は銀座で内臓肉の調理に自信があるというフランス料理の店を知っていたし、渋谷にも美味しいホルモン料理を出す店を知っていたので、妙に舌が肥えてしまった。

でも、上には上があるというか、関東なら川崎のちょっと怪しい雰囲気の街にひっそりある焼き肉屋のホルモンが絶品だったりして、正直かなりビックリしたことがある。呼び込みの婆さん連中がいなければ、もう少し気軽に通えるんですけどね(分かる人は分かるはず)。

また大阪の羽曳野も凄い。市場が近くにあるせいか、20年前にここで食べたモツ鍋は、ちょっとレベルが違いました。紹介者がいたので店がどこにあるかが分からないのが悔しい。っつうか、あの小うるさい店主の年齢を考えると、今も営業しているかが不安。もう一度食べたかったなぁ。

なんだって、この連日猛暑が続く最中に、もつ鍋の話をするかというと、最近近所に美味しいホルモン焼き肉屋を見つけたから~♪ その店、ランチはもつ鍋中心だけど、夜になるとホルモンを店員さんが焼いてくれる。これが嬉しい。なにせ内臓肉は部位によって焼き加減が全部違う。慣れていない私には上手に焼く自信がない。

最近の週末のお楽しみなんですよ。まぁカロリーは気にしているので、肉1に対して野菜3で食べていますけどね。それとご飯は食べない。これだけでかなりカロリーを減らせますからね。

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古事記異聞 鬼の棲む国 高田崇史

2023-08-11 18:09:59 | 

世界最古の王族と云われるのが日本の天皇家だ。

なぜに天皇家が生き残ったのか、このことを不思議に思わないのは歴史的センスに欠けると思う。少なくとも実権を失った旧支配者は、歴史から消される。それが普通だ。子や孫はもちろん親戚でさえ情け容赦なく消されるのは、有史以来当然の理であったはず。

少数ながら生き残った王族はいるにはいる。多くの場合、新しい支配者の眷属としてであり、利用価値がなくなれば消えていく。あるいは山奥やジャングルの奥深くに埋没して、人々の意識から消え去っているだけで、取り敢えず生き残った王族もいる。

しかし新しい支配者にとって古い支配者は概ね邪魔である以上に危険な存在として認識される。だからこそ根絶されてきた。

ところが日本列島のかつての支配者である天皇家は今日まで生き残った。実権もなく金銀財宝を持つでもなく、貴重な文化の担い手であった訳でもない。ただ権威はあったゆえに、新しい支配者にとっての承認者としての役割が、辛うじて残っているだけの不思議な存在。

更に不思議なのは、古代の天皇たちの墓所である天皇陵の存在である。これも不思議なことに残されている。大都市のど真ん中に無駄に残されている。一部が公園となっている場合もあるようだが、墓所として人々に認識されている。

しかも一等地であり、人口が増加し、経済的にも巨大になった都市部で、移設されることもなく残されている。古の古城のような文化的価値があるとも思えない。観光名所でさえない。いやガイドブックに載ってはいるが、行ってもつまらないぞ。

まぁ墓所を穢すことを恐れる怨霊信仰の顕れだと理解するのが妥当だと思うけど、天皇家以外だとわりと墓所だって所在不明、あるいは他に転用されているケースは少なくない。仏教のお寺が増えて、墓所も小型化するようになった時代でも、天皇陵だけは別格扱いらしい。

今も答えを求めて模索中だが、一つ考えているのは古代出雲の統治者であったと思われる大国主命による国譲りである。大和朝廷による支配者交代劇の敗者であり、本来ならば歴史から消え去って当然の旧支配者だ。そして、これは特筆すべきことだが、何故だか出雲大社は別格の存在として今日まで残っている。

それを国譲りといったフィクションで塗布して、悲劇を匂わせないようにしたのは、当時から日本人が最も恐れたのが怨霊であったからだと思う。大国主命を怨霊化させないが故の「国譲り」といった誤魔化しであり、実際には戦争と虐殺、破壊であったはず。

だからこそ大和王朝は、出雲の旧支配者が怨霊と化すのを恐れて、出雲大社をはじめ幾つもの立派な神社を建立したのだと推測できます。ただ反・大和朝廷派がすべてであったというより、敗戦後に大和朝廷の権威に服した人たちもいたはずです。彼らに対する慰め、あるいは慰撫の意味合いもあったのではないかと想像も出来るのです。

出雲地方は、その意味で極めて日本的な権力交代劇の原点であったと考えています。私はまだ行ったことがないのですが、表題の書を読んで、やはり一度は自らの目で見てみたいと思うようになりました。

それにしても古代日本史は難関です。勉強不足の私は未だ古代日本史について想像の青写真さえ描けずにいます。焦らず、慌てず、ゆっくりと学んでいきたいと考えています。

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声を聞かず

2023-08-10 09:37:53 | 社会・政治・一般

学業成績優秀な政治家は役人に騙されやすい。

いくら勉学が優秀でも、霞が関のエリート官僚には及ばない。そしてエリート官僚は作文の名人だ。分かりやすい資料を基に、政治家を上手に丸め込む。真面目で勉学優秀であった政治家ほど、エリートの手のひらで踊らされる。

その典型が岸田首相だろう。河野も同罪だ。

人の話を聞くのが自分の美点だとか言っているけど、役人の話を聞くだけで、国民の声に耳を傾けない。いや、傾けるふりをして、実際は役人の手のひらで踊らされている。だから、これだけ反対が根強いマイナンバーカードに固執し、健康保険証との統合を役人のスケジュール通りに進める自分に酔い痴れている。

馬鹿だね。どうも自民党の政治家は公明党の固定票による応援に慣らされて、選挙区の有権者の声を聞くことを忘れているらしい。冗談抜きで、次の選挙で自民党が大勝することはないと思う。

こんな時、思い出されるのは金権政治家と誹謗された田中角栄だ。実質小学校しか出ていない田中だが、地頭は優秀で若くして土木会社の社長になり、のちに政治家になるとコンピューター付きのブルドーザーと呼ばれた。その実行力と気配り、官僚操縦の上手さで首相の座に登り詰めた今太閤であった。

その田中が頼りにしたのが、後藤田正晴であった。優秀な官僚であったが、エリートらしく選挙民の気持ちには鈍感であった。田中の助言により落選した選挙区を歩いて回り、有権者の本音を聞き出して政治家として一皮むけた。

後に第一次田中内閣において官房副長官となり、田中を助けた。エリート官僚たちの根強い反感を、理詰めで論破して多数の内閣発案の法律を制定させた。その辣腕ぶりは他の自民党大物政治家たちからも高く評価され、大平政権や中曽根政権において重要な役割を果たした。

田中にせよ後藤田にせよ、有権者の声を聞くことを非常に重んじた。だからこそ長いこと政界で強い影響力を行使できたのだと思う。

その逆が万年野党であった。元々高い理想を掲げ、有権者に自分たちの思想を支持することを求めていただけに、有権者の声を聞くことに消極的であった。だから旧社会党は解党し、野合の集まりであった民主党はばらけた。その依怙地な高慢さは立憲民主党や社民党に今も引き継がれている。

ところが、そんなダメ野党とは一線を画すはずであった与党・自民党も最近は危うい。一つの原因は、二世政治家、三世政治家といった選挙区を親から引き継いだ議員が増えたことだ。元々確固たる選挙地盤があるためか、情けないほどに選挙区回りをさぼる。親と比較されるのが嫌らしい。

もう一つの理由、これが問題だ。安倍元首相の暗殺により表ざたになった宗教団体と与党との危うい関係である。統一だけではない、なにより公明党と連立を組んだことで創価学会の支援を長年にわたり受けることが出来た。固定票と選挙資金の支援は、政治家にとって喉から手が出るほどに欲しいものだ。

だが、この合法的な応援に慣れてしまうと、本来の有権者の声を聞くことを怠るようになる。それが今の岸田政権に大きく影響している。マイナンバーカードや保険証だけではない。現場の声を聞かず、霞が関のエリート官僚の作文に囚われ、宗教団体の応援に慣れ過ぎて、地元の有権者を軽く見ている。

元々、自民党内での勢力基盤の弱い首相だけに、聞く力は重要ではあるが、聞く相手を限定し過ぎた。このままでは次の選挙は危ういのだが、肝心の野党が心もとない。これこそ現代日本が抱える最大の病巣だと思います。

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予想外の一撃

2023-08-08 13:04:34 | 経済・金融・税制

厄介なことになった。

今年10月から施行される改正消費税法におけるインボイス制度が、現在ふらついている。

このインボイス制度は非常に問題が多く、私ども税理士会では5年前から反対していた。しかし、世間の反応というか新聞やTVといったマスコミ様の反応は鈍かった。その問題点を一言でいえば、零細事業者苛めになるからだ。

これは元々、零細事業者を保護するため、規模の小さい事業者は消費税の納税義務を免除していることに原因がある。何時の時代でも経済は、弱い者の犠牲が必ずある。日本の場合、多層的な経済の流通システムが必然的に末端の下請け、孫請け業者に負担を求める。

これは世界各国も同様であり、ヨーロッパでも小規模事業者へ無理な負担がいかないように、大型間接税(日本の消費税に該当)は免税の処置がなされている。これに倣い、日本でも同様であるが、日本は零細事業者の判断基準を何故か売り上げ総額で判断している。

これは消費税法の条文構造が旧・物品税法を転用したせいだと云われている。では、なにが問題なのだろうか。

例えば弁護士を例にとれば、年収1000万円は業種的には小規模だが、稼ぐのに必要な経費は少ないから、十分の利益(所得)が算出できる。しかし、物品販売業で年商1000万円は辛い。仕入れや販売コストを考えれば、実質的な利益(所得)は400万円を切ると思われる。

同じ総収入1000万でも、業種により利益は大きくことなる。私は利益(所得)300万円くらいが零細業者ではないかと考えています。

しかし、平成5年の消費税法施行より、消費税は総収入1000万円を基準に、消費税の納税義務を区分けしている。その結果、十分な利益を出しながら消費税を納める義務のない業者と、生活費ギリギリの利益しか出せない業者が同列に扱われている。

にもかかわらず世間は消費税をもらっておきながら消費税を納めないとして一律に消費税の免税業者を誹謗してきた。ここに便乗したのか、あるいは小さい事業者なんて視野に入っていなかったのか知らないが、インボイス制度を無造作に導入しようとした財務省である。

その結果、インボイス登録をしていない零細業者は、令和5年10月以降、取引から排除される可能性が非常に高まった。まさに弱いもの苛めそのものだ。そのため廃業を検討している零細業者は少なくない。悪法であっても法は法。忸怩たる思いを拭いきれないまま、取り敢えずインボイス制度の導入に向けて準備をしていた。

ところが思わぬところからインボイス制度に噛みついた者たちが居た。それが公正取引委員会であった。

曰く、インボイス未登録業者に対して消費税相当額の値引きが予想されるが、それは独占禁止法の趣旨に反するものであると財務省に意見具申をしたのが今年5月だ。ほとんどのマスコミは無視していたと思う。勉強不測で何が起きているのか分かっていないのか、それとも記者クラブでの予定調和を乱すことを恐れたのかは知らない。

ただ、司法の場に持ち込まれたら敗色濃厚だと気付いた財務省は本気で頭を抱えたらしい。先月末になって、インボイス制度の手直しを公表した。おかげで我々、税務会計業界はてんやわんやである。

手直しの内容も小手先の誤魔化しの感が否めない。やはり免税業者の定義からやり直さねば、難しいと思う。

今日の記事は、税務会計にある程度知識がないと分かりずらいことは承知しております。申し訳なく思いますが、分かりやすく書くのが非常に難しい内容なので、読み飛ばして頂いても結構です。

ただ、頭の片隅に置いておいて欲しいのは、キングオブ官庁である財務省といえど、その作成する法案にはけっこう不備があることを。それを指摘するべきマスコミは、大本営発表に終始しているし、国会議員どもは不勉強で分かってない。

さりとて私らのような専門家も、世間の関心を呼び込むような活動が出来ずにいる。最後の砦は裁判所だと思っていましたが、まさか公正取引委員会が一刺ししてきたとは全くの予想外でしたよ。

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2026アジア予選の心配

2023-08-07 09:26:17 | スポーツ

スポーツは政治とは無縁でありたい。

でもそれは幻想に過ぎない。その典型例の一つがアジアサッカー連盟、通称AFCである。

Jリーグ以前のワールドカップのアジア予選を覚えている人は少ないと思う。当時は中東の地での集中開催方式が主流だった。AFCは地域のサッカー協会としては世界最大である。中東から東アジア、中央アジア、オセアニアまでをも含み現在は世界の総人口の半数を擁する。まぁシナとインド、インドネシアがあるので必然ではある。

広大なエリアであるため、一次予選、二次予選、最終予選まである激戦区ではあるが、欧州や南米に比べてレベルは低い。少し前まではアフリカにも大差をつけられていたが、近年はイラン、日本が本大会で好成績を上げており、徐々にではあるがレベルは上がってきている。

だがAFC自体は中東のアラブ諸国に牛耳られているのが実情だ。中東で最終予選が集中開催されたのも、アラブのオイルマネーの影響力故だとの声があるのも無理はない。ただ、長距離移動を強いられる国、日本や南コリア、ウズベキスタンなどを考慮しての集中開催の面もあった。

さすがに現在は欧州や南米のようにホームアンドアウエー方式が定着している。しかし、アジアは政治的に不安定な国も少なくない。自国開催が政治的理由で困難な国も珍しくない。

そしてAFCがまたもやらかしてくれた。次の2026大会での予選大会だが、日本はFIFAランクではアジアで最高位であり、ポット1の筆頭国として二次予選からの出場である。

それは良いとしても、対戦国は問題だらけ。なにせ内戦が続くシリア、閉鎖された独裁国家の北コリア、そして一次予選の結果次第だがマカオかミャンマーである。マカオはともかく、ミャンマーは現在軍事政権の支配下にあり、欧米から敵視扱いされている。

はっきり言って、マカオ以外どの国も自国開催は難しい。日本にとってはサッカー以前の問題であり、おそらくは中立国でのアウェイ試合となる可能性が高い。いや、北コリアは分からん・・・余計な差し出口をする国がありそうだしね。

サッカーの技術云々でいえば、どの国もさして問題ではないと云いたいが、実はそれほど甘くない。少し前までは、シリアは中東でも油断ならぬサッカー巧者であり、アサド大統領の飴と鞭で如何様にも変る難儀な国であった。

北コリアは技術よりもパワープレイが売りの激しく汚いサッカーが身上であり、勝っても引き分けても無事に出国できるか分からない不気味な国だ。少し前に南コリアと親善試合をしていたが、親善って何だと云いたくなる激しい試合。試合後には帰国のためのバスに閉じ込められた南コリアの選手たちの不安げな顔がすべてを物語っていた。

正直言って、AFCに厄介な対戦相手を押し付けられた印象がぬぐい切れない。サッカーが強い国との対戦ならともかく、政治的状況の困難さを押し付けられると、改めてAFCの厭らしさが鼻につく。

ちなみに日本政府というか外務省は、渡航困難国だと警告するだけの役立たず。ワールドカップにおける日本の活躍が、どれほど国際的知名度を上げるのか分かっていないのだろう。莫大なODAをばら撒く日本政府には潜在的には大きな国際的な影響力があるのですけど、どうも豚に真珠状態みたいです。

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