何日か前、信濃毎日新聞の「斜面」で、19年前から開催されているという涸沢音楽祭に触れた記事を読んだ。音楽祭に出演を要請された飯沼敏郎という人は、こんな素晴らしいところに下界の音楽をもちこんじゃいけない、ここに合うのは風の音だけです、と言って最初は拒否しようとしたという。しかし結局は説得され、断り切れず出演したそうだ。
飯沼氏のような考えを持つ人もいれば、他方で昨今、山を何だかやたらと商売にしたがる人もいる。他にもイベントの類が、ここであると耳にしたこともある。山に場違いな文化・文明なぞが要るだろうか。
初めてここを訪れたのは高校生だった。秋だったが、涸沢のテント場には某女子大のテントが一張りあっただけで、夜はテント越しに合唱した。その後涸沢へは何度となく行ったが、このときの記憶は心地よく、懐かしい。
涸沢は変貌した。山も人も変わった。いまさらもう、穂高はおろか涸沢にも、ましてや屏風や滝谷なぞ、いくことはないと決めている。けれども、なんの未練も不足もない。
確かに、あそこでシンフォニーが聞けたとしたら、それは素晴らしいだろう。分かる。しかし、あそこはそういうところとは違う。山は山らしくしておくべきだと思う。岩の圏谷、石ころ道、ハエマツ、風、霧、抜けるような青い空・・・。「下界の音楽」なぞに、いつから穂高は手を借りねばならなくなったのか。それにあそこは、その気になれば極上の音楽が、いくらでも心の中に聞こえてくるはずだ。その音色に耳を澄ますだけで、充分ではないのか。
HALとキク、久しぶりの入笠にハシャグ
天気予報は晴天の先送りだけ。山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。