激しく雨が降っている。この雨が咲き始めたコナシの花にどのように影響するのか、ここへきて少し足踏み状態のような気がする。早咲きの木も遅咲きの木もこの雨の中で開花の歩調を揃えて、今週の半ばごろには一斉に白い花で牧を飾ってくれたらいいと思うが、さてどうなるか。
入笠山の登山口は伊那市と富士見の境と、伊那側からすると入笠山の裏側になる富士見側にも、もう一箇所ある。その富士見側にある登山口が「首切り登山口」と道標や案内図に表記されるようになったのはそれほど古い話ではない。恐らく、2年くらい前のことだ。
入笠山からヒルデエラ(大阿原)まで、それまでの舗装された林道に並行するように新しく歩道を設けた際に、近くに「首切り清水」という場所があり、それに因んで付けた名前だろう。
しかし、これには大いに憤慨し、ここでも大分吠えた。なぜなら、「仏平」という古くて床しい名前がずっと昔しからここにはあったからだ。
伊那市と富士見町との間には「入笠山連絡協議会」という、名前の通りの協議の場が設けられているはずなのに、こういうことに関しては話し合いが行われたとは思えない。それとも、伊那側の関係者はこうしたことへの知識もなければ、関心もなかったのだろうか。
そもそも「首切り清水」の名前の由来にしてもはなはだ怪しいもので、高遠藩の勘定方がここで水を飲んでいた時に、盗賊に背後から首を斬られたという口碑に基づくようだが、こんなことが実際にあったのかどうか、別の機会に糺してもいいが疑問点を挙げれば幾つもある。
ヒルデエラも現在は「大阿原湿原」と国土地理院が発行する地図にまで表記されているが、これも正しくないことはすでに述べてある。「阿原」とは湿原の意味である。
富士見町が入笠の観光に熱心なのはよく理解しているつもりだが、「法華道」にしても言えるように、観光目的のために時に過ぎるのではと思うようなことがないではない。
ところが、この「首切り清水」について新説を耳にした。もう半世紀以上も以前のことながら、地元である高遠町(当時)の小学生たちは、遠足で入笠を訪れることがあったらしい。その時、引率した先生から児童が聞いた話の中に「首切り清水」の名前の由来説明もあったという。
その説明は、現在流布されているような禍々しいものではなく、もっと穏当なものであったことが分かった。(つづく)
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本日はこの辺で。