また「明日は沈黙します」の土曜日が来た。早い、早過ぎると思いながら、同じ言葉を繰り返す。
牧場を来年度から閉鎖すると呟いてから今も、「キャンプはできなくなるのか」とか「牧場はどうなるのか」とかの問い合わせがよく来る。責任をもってそれらに応えることのできる立場ではないが、東部支所の所長との間ではキャンプと撮影は続行することで一応話はついている。ただし、まだ一部の人間は、これで納得するか分からない。
恐らく、そういう人たちは、かつては長野県の三大公共牧場の一つに数えられた牧場への思い入れもなければ、愛着もなく、何より牧畜の知識もない人たちだと思われ、そう言われても仕方ないだろう。
あの人たちにはせめて、100年からの歴史を持った南信地区最大の公共牧場を閉鎖した人たちとして、後世に語られるかも知れないという覚悟ぐらいは持ってほしいが、それも分からない。
高ボッチの伝統のある草競馬も、残念ながら終わってしまった。当然、諸々の事情、理由はあっただろうが、詳しいことまでは伝わってこない。
あそこにも牧場があって、と言うよりか元々が牧場で、以前に行った時は数頭のホルスがいた。今はどうなっているか知らないが、多くの人は放牧されていた牛のこともだが、もう見ることのできないあの草競馬を惜しみ、残念に思っていることだろう。牛も、競馬も一つの貴重な景色なのだから。
牧場の土地を伊那に返還するのは来年になると聞く。それまでは農協が管理を続けるしかあるまい。
来年度も管理を任されるなら、何キロになるか知らないが電気牧柵はわが苦労の作(柵)だから全部撤去する。第2牧区のように、区画変更に伴う新たな牧柵も、これまた苦労の作(柵)だから同じようにしてもいい。
ただし、牧場の外周と第4牧区の道路に沿った牧柵は当面管理上からも残すべきで、これらの牧柵も殆どは支柱を打ち直し、古い有刺鉄線も使い回しで張り直したものだが、これらには手を出さないつもりだ。
吠えたいことはいろいろある。しかし今は、18年間過ごしたの牧場の記憶と、あの自然、土地への感謝だけに留めて良しとしておきたい。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。