西山( 中ア)は雲に邪魔され、やむを得ず反対側、逆光の仙丈岳
午前6時、まだ外は薄暗い。起き出してから1時間、部屋が暖まるまで炬燵に抱き付きコーヒーなど飲む。外に出ると気温は零下5度、雪を被った経ヶ岳の頂上付近に朝日が射し始め、赤く染まりかけているのに気付く。
写真を撮ろうとしたが、そこからでは建物や樹木などの邪魔が多く、思い切って急遽開田まで車を走らせた。
途中、登校する小学生らの姿を何人も目にした。もうその時間には家を出なければならないのかと驚き、つい同情までもしたくなる。もっとも、われわれの時代はスケートをするため、この時季は毎朝6時には校庭にできたスケート場にいた。
70年も前のことである。まず、今の子供たちと比べ、身なりの良さはわれわれのころとは明らかに違う。先日No17に、美和ダムの湖底に沈む前の風景と、それを眺める子供らの写真を載せたが、今と当時とでは着ている物も、その着ぶくれした姿も明らかに違う。
もう一つ驚いたことは、子供たちの集団の中に知っている大人が加わっていたことだ。聞けば毎朝、子供らを見守りつつ小学校まで付き添うのだという。距離にしたら2キロ近くあるだろう。
われわれのころは車の量も少なかったから、歩道もない未舗装の県道をゾロゾロと好き勝手に歩いて通った。その当時と比べて、子供ばかりか大人もご苦労なことだと思った。
それでも良くなった点では鉄筋建ての校舎に加え、その移転により倍近い遠距離になった通学路である。丘の上の校舎までは田圃や畑もあれば、林や森もある。四季折々の自然の風景が、子供たちの感受性を豊かにしてくれるだろう。
あのくらいの子供たちにしたら、早起きも、通学路の長さも、それほど気にならないのかも知れないし、今は教室に入っても寒さに震えることはないだろう。
話は変わる。わが市、伊那市の市報には毎月市長が綴る「たき火通信」といコラムがある。今月は、「信仰の道 法華道」というタイトルで、古道法華道のことや、それの修復に苦労した北原のお師匠のことを紹介していた。
法華道と牧場の繋がりは長く、太い。入笠牧場が今年から放牧を止めると決めた話が、市長の耳に届いているのかも知れない。
本日はこの辺で。